中西美沙子
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文章教室スコーレ
文章教室スコーレ
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■小論文指導実践

生徒の思考力を研ぎ出すには指導者自身が表現者であること
――文章教室 スコーレ

 小論文で「書くことがない」と立ち往生する生徒たちは、目の前の問題を考える「考え方」、経験の奥底に眠るできごとの「思いつき方」を知らない。それを「教える」とはどういうことなのか。静岡県浜松市の「文章教室 スコーレ」の実践に、その手がかりを探る。

学研・進学情報 2010年2月号

 美しいものを前にしても、それを捉える目を持ち、美しいと感じる感じ方を知らなければ、人は「美しい」と思うことができない。これと同じように小論文執筆の場でも、提示された社会問題を「問題」と考える仕方を知らなければ、生徒の心は無表情なままだろう。
 では、何かを感じたり考えたりする仕方とは、誰がどのように教えられるものなのか。
 今回はこの難問に取り組み続ける静岡県浜松市の私塾「文章教室・スコーレ」(以下スコーレ)を訪ね、主宰者の中西美沙子先生、協同して指導にあたる金本一夫先生にお話をうかがった。

●考えることの始まりは「対話」から

 スコーレ(ギリシア語で「学ぶ・遊ぶ」の意)を主宰する中西先生は県内私立高校の元英語教員で、文芸部で生徒の言葉の力を育てた在職中の実践は本誌2001年11月号でもご紹介した。中日新聞に教育エッセイを長年連載してきた先生は、退職後、その教育観に共感する読者たちに求められて私塾の開設を決意。それが現在のスコーレである。
 開設以来、スコーレからは毎年さまざまな論文コンテストの受賞者が出ている。例えば09年12月には高校2年生の塾生が慶應義塾大学の「第34回小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト」で小泉信三賞を受賞したばかりだ。
 だが、中西先生によれば、入塾当初は書くのは嫌い、苦手という生徒たちが多数派。その素顔は、学校で小論文に苦労する生徒たちと変わらない。
 では、その生徒たちにどのような働きかけたとき、考え書くことへの抵抗感が和らぐのだろうか。
 スコーレの在籍生徒は、小学生から社会人まで約100人。多くが先生の読者子弟と、口コミで集まった生徒たちだ。うち高校生は30人で、小学生時代から通う生徒もいる。約10名ずつ3クラス、週一回90分の授業だ。
 授業はまず、先生と生徒との対話から始まる。中高生の場合、とっかかりは先生が時事的な話題などを紹介するところから。例えばある日の対話の始まりは、「鞆の浦という港町、知ってる?」という問いかけだった。
 この港町の再開発をめぐって、景観保全を重視する判決が出て間もない時期。その報道を見た生徒の口からは、ごく自然に「知ってる」という声やそれぞれの感想が漏れる。対話の時間は、五分から十分と短いが、これは生徒が他人の視点に触れる大切な場面だ。
 例えば、学校では先生の話に応じて「知ってる」という声が出るよりは、むしろ沈黙が流れるはずだ。こんなことを言ったら、周囲の子にどう思われるか。そんな脅えが、生徒を自己規制させる。
 ところが10人という少人数で対話するスコーレの場合、「何を言っても大丈夫」という安心感が漂う。そこで自然に出たリアクション。それは、新聞など読まなかった他の生徒にとって、社会への無関心が決してアタリマエの感覚ではないことを伝える契機ともなる。
 「考えること」「言葉を発すること」に、怖れを感じる必要はない。その雰囲気は、スコーレの授業全体を覆う大きな特色である。

 

●指導者が書くことで考える手順を示す

 右のような導入を経て配布されるのは、先生が「テーマ文」と呼ぶ教材である(資料1)。高校生クラスで2000字前後。時事的話題や哲学的なテーマなど、その日生徒たちに考え書かせたいテーマについて書かれた評論文だ。授業は、その輪読から始まる。
 特徴的なのは、このテーマ文の多くが両先生自身によって書かれているということだ。
 小・中・高それぞれ年間48週ぶんのテーマ文を執筆する労力は大きい。だが、自分自身が教材を書く意味は大きいと両先生は口をそろえる。テーマ文は小論文で言う「課題文」であると同時に、あるテーマを「考える」という作業を生徒の前でしてみせるサンプルでもあるからだ。
 学校の小論文指導などでは本や新聞の文章を読ませ、「思ったことを書きなさい」というところから指導を始める先生も多い。
 でも、と中西先生は言う。
「最初はこちらで導くものを用意しないと、不慣れな子どもは考えることに入っていけません。まず考える視点を、子どもたちの中に育てることが大事だと思います」
 例えば前述の鞆の浦の事例を論じたテーマ文「近代化と景観」(資料1)は、景観保全を主張する先生自作の文章である。文化や歴史を可視化する景観と利便性との相克を語り、「住み易さ」「美観」「故郷」など、このテーマを論じるいくつかの視点を盛り込んだ。例えばこれを要約すれば、生徒はこのテーマを「考える」ことを追体験できる。テーマ文は、一つのテーマを考える「考え方」の雛形が直接的で見えやすい形で示されたガイドでもあるのだ。

 だが、生徒に「追体験」させるには、それに先立つ確かな経験を指導者側が持ち、それを提示できなければならない。指導者自身が文章を書くのは、テーマについてどのような考察が成り立つかを自ら確認・実践し、それを表現してみせる作業だと言える。
 もちろん識者の文章の中にも、そのような使い方ができる文章はある。けれども、それを探すより自分たちで書く方が早いと、金本先生は言う。
 その「早さ」は、テーマ選定の自由度を広げる。自分で教材を書くぶん、時事問題はタイムリーに取り上げられるし、子どもたちとの対話から気づいたことをすぐにテーマに反映させることもできるからだ。どのような社会に生きているのかを生徒が意識しやすいテーマ、生徒たち自身が日常の中で悩んでいるテーマ。これらを中心に、時にはテーマ同士の関連性も考慮に入れながら臨機応変にテーマ文が作成される。
 時事性や子どもたちの現場に即した臨機応変なテーマのもとで、「考える」プロセスを示す。それは、指導者自身が表現者であってこそ可能なことだ。

●くり返しの中で視点を内面化

 輪読が終わると、生徒たちはそのテーマ文から考えたことを書く。高校生の場合、原稿用紙二枚が目安だが、書く中身やそのレベルは一人ひとり違う。
 不慣れな生徒は、まず要約を書くところから。「テーマ文をそのまま抜き出してもいいからネ」と励ます段階の者もいれば、「今度は自分の言葉で言い換えてごらん」と促すべき生徒もいる。さらに書き慣れた生徒であればテーマ文への違和感や肯定感を書いてみるように促すし、テーマに関連する社会科の知識を要約に書き加えて膨らませてもいい。
 「読解」「要約」「意見執筆」と一律に進ませるのではなく、それぞれの生徒が、自分の考えられるところで考えればいい、書けるところで書けばいいという緩やかな流れの中で書かせる。それが指導の基本姿勢だ。
 だが、それでも「わからない」と立ち往生する生徒もいる。金本先生によれば、そのような生徒には文章というものの組み立てから個別に教えることもあるという。
「『まず、一番印象に残った文を一行書いてごらん』というところから始めることもあります」

 一行書けば、今度はそれについて自分がどう思うかを書き加えることができる。こうしてできた数行のブロックを数個作れば、それをつなげて一定量の文章ができる。ここまで教えてテーマ文を再読させれば、テーマ文もそうしてできていることがわかる。
 先生たちも、あるいは識者さえもこのように小刻みに考え、それを積み重ねて書いている。思考の重層性が「論」を生み出すことを「書き手」として説明できるのも、教材を自ら書いていることの強みと言えるだろう。
 こうしてテーマ文の要約を膨らませながら文章執筆をくり返すうちに、生徒の中にはそのテーマを考える道筋のようなものが生まれる。似たテーマを持ついくつかの文章(資料2)を要約した経験がよみがえり、そのときの考え方を今取り組むテーマにも援用できることに生徒が気づくのだ。
「自然をテーマにした文章を読んで書こうというときなど、生徒が『また〈共存〉ですかァ』とイヤミを言い出すような場面があるんです(笑)」(金本先生)
 「共存」という視点で自然からの収奪を批判するテーマ文に触れた経験が、同じく自然と人間との関係を論じた別のテーマ文を考える際に生きる。「またですかァ」という気付きは、社会を読み解く視点の一つが生徒の中に根付いた兆しだ。
 テーマ文の読解要約を通して、ある視点でテーマを考えた軌跡をたどりなおす。そのくり返しによって、生徒はその視点を内面化していくのである。

 

●生徒の「中」の成長を積極的に評価

 では、90分の授業時間内に生徒が書き終えた生徒の文章に対して、スコーレではどのような指導を加えているのだろうか。
 例えば小論文模試の答案添削には「添削基準」があり、それに照らして生徒の文章は原型を失うほど詳細に朱入れされることも多い。それらは一律の基準で評価され、同じような文章なら評価も同じ。
 だが、これは入試を意識した一過性の模試の話だ。考える力をこれから養おうという日常的な指導に、この種の細かな添削は不向きではないかと中西先生は言う。
 生徒の多くは常に周囲の評価にさらされ、自己への肯定感が低い。どんな評価を受けるかという怖れが、考えを述べることをためらわせる。それを取り去るには、生徒の文章の中に成長の兆しを積極的に見つけて評価する指導者の言葉こそ求められる。

 そこで中西先生は、「いいところを褒めること」に力を入れたコメントに力を注ぐ(資料3)。その観点を箇条書きすると、次のようにまとめられる。
@テーマ文の要約や引用などから、筆者の考えがどのくらい把握できているかを見る。
Aそれらをどの程度自分の言葉に置き換え、再構築できているか。
Bできるだけ良いところを見つけ、強調して褒める。
C他の生徒との相対的評価ではなく、その子の中での成長を見る。
D文脈の乱れや誤字などの書き方マニュアルは、そのつど教える。
 これらに不可欠なのは、生徒の文章を内側から理解しようと努める能動的な読みと、生徒の「中」での成長として評価する姿勢だ。
 例えば、テーマ文の内容を別の言葉で言い換えただけの文章も、生徒が抜き書きだけで精一杯だったことを知る指導者の目で読み込めば、成長の結果としての作品である。外から突き放して眺めれば単なる言い換えに過ぎなくても、その生徒の時間軸の中では筆者の考えを自分のものとして取り込みはじめた証でもあろう。
 中西先生によれば、このような成長の兆しがある日突然現われる様子は、英語のヒアリングの上達プロセスに似ているという。
「聴き取れなかった英語が、それでも聴き続けているうちに急にわかり始める瞬間。それと同じことで、急に一つのテーマがこれまで触れてきた視点や他の事象とつなげて感じられるようになる。その片鱗が文章に表れた瞬間を見逃さず評価することが大切です」

 それは、長く生徒の文章の変化を見続けることで成り立つ私塾ならではの指導に見えるかもしれない。だが、角度を変えて考えると、最も長く生徒に接する学校の先生こそ、このような指導にふさわしい位置にいるのかもしれない。
 こうして考えることの楽しさに気づいた生徒の中には、多くのテーマ文を読み込む中から自分の将来の設計プランの着想を得る子もいる。そのような生徒たちを振り返りながら、中西先生は言う。
「思考力や想像(創造)力を育むことが、結果として自分の将来を構想することにもつながる。スコーレを始めて良かったと改めて思えるのは、そんなときです」

(取材/文 寺川 潔)

 

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