中西美沙子
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飼いならされないで生きる

柏木麻友子(高2)

変人クラブ
 私たちは、いわゆる「デジタルネイティブ」と言われる存在らしい。一九九五年の周辺に生まれた世代は常にインターネットなどのメディアの媒体と共に生きてきた。よって、ネイティブスピーカー同様に「デジタルネイティブ」と呼ばれる。このような私たちの生き方は、私たちが意図して作ったものではないだろう。経済の発展によって、私たちは産み落とされたのではないか。しかし、そのことを私は疑問に思うことはない。ネットがなくては、不安を感じるのが現実である。多様な情報によって、生かされている喜びすら感じるのだ。だが時々その感覚とは違った不安が起こる。その思いを辿ると、私が感じている喜びや快感にリアリティーがないという思いに行き当たる。私は、与えられているものをただ取り込んでいるように思える。そこに自分の意志はない。私は今暮らしている環境だけをただ見つめているだけで、その背景には何があるのか見ようとしていない。こうした見方では問いに対する答えは出てこないだろう。
 福澤は『文明論之概略』で、「世の議論を相駁するものを見るに、互ひに一方の釁を撃ちて双方の真面目を顕し得ざることあり。其の釁とは、事物の一利一得に伴ふ所の弊害を云ふなり。」と書いている。楯の半面を強調して、もう一つの面を見ようとしない事物の見方は、平行線をたどるだけだということを私に示唆しているような気がする。
 また、『福翁自伝』を読んでいて思い出したことがあった。それは、中学生の頃考えた「変人クラブ」という部活のことである。私はどんな風の吹き回しか、ふと「変人クラブ」という部活を作りたいと思ったのだ。誰もがやっていない部活、誰もがしたことのない活動をしてみたかったのだ。
 周りは私を不思議な目で見た。「変人クラブ」を作ろうとした理由は、形にはまった勉強や部活に、疑問を持ったからだ。
 だが、「変人クラブ」は、一回の活動で終わってしまった。
 『文明論之概略』の中に、「故に、昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然らば則ち、今日の異端妄説も亦、必ず後年の通論常談なる可し」という部分がある。多数派の意見が歴史を進めたのではなくて、むしろ少数派が進めたことが多いと書かれている。当時福澤は少数派といわれる考えの持ち主だった。少数派への世論の圧迫を受けた実感がこの部分には表れている。
 福澤はもしかしたらあの時代では、変人であったのかも知れない。現代ならなおさら変人であろう。
 当時の人々の大半は儒学や漢学を重んじていた。しかし、緒方洪庵の塾で学んでいた学生は漢学書生や漢方医を批判した。福澤も自伝で「ただ漢方医流の無学無術を罵倒して、蘭学生の気?を吐くばかりのことである」と述べている。こうした福澤と緒方の塾生の生活や態度は、一見「変人」と取られてもおかしくないかもしれない。しかし、私は塾生たちのこうした行動から、彼らの新しいものへの好奇心、これまでの形式にとらわれない新しいことを学ぼうとする志を感じるのだ。
 従順という言葉がある。その言葉に私は、盲目的に何かに従うイメージを感じる。福澤が、現代の私たちを見たら、「飼いならされた人間」の群れを思っただろう。自分を取り巻く様々な環境に対して、「疑問」や「抵抗感」を抱くことが極めて希薄だと。
 福澤は『学問のすゝめ』の第十五編で、「異説争論の際に事物の真理を求むるは、なお逆風に向って舟を行るが如し。」と言った。常識とされていることに、疑問を抱き、真理を求めるのは、逆風に向って舟を漕ぐことと同じであるという意味だ。
 私はこれまで育った環境を「当たり前のもの」として受け入れてきた。自分を取り巻く環境に対して疑問を抱き、その背景にあるものを求めようとすることは、難しく、苦しいだろう。しかし、そうしなければ私は「飼いならされた人間」になってしまうだろう。

現代の若者と福澤
  福澤は『福翁自伝』で「門閥制度は親の敵で御座る。」と語っている。福澤にとって、封建制度は嫌悪する対象であった。福澤諭吉は天保五年に豊前中津藩の藩士の子として生まれた。福澤の父は下級武士で教養の高い人であったが、封建制度下においての身分や職業の世襲制に不満を持っていたように思える。福澤もその意志を受け継いでいたのではないか。
 現代の日本は民主主義だ。自分の意志次第でどのような生き方も選択できる。しかし、現代の多くの人は自分の意志を持たず、「与えられること」に依存しているように思える。
 福澤が青年のとき、長崎でオランダ語を学ぶことを勧められた。また大阪で、蘭方医でもある緒方洪庵の塾で勉強する機会を得た。
 福澤は当時も今も多くの人から知られる存在だ。その著作は『学問のすゝめ』や『西洋事情』、『文明論之概略』であり、たちまちベストセラーとなった。
 なぜこれらの本はベストセラーとなったのか。
 それは、当時の人々が文明の危機をひしひしと感じていたからではないだろうか。当時、日本は西洋諸国から大きく遅れていた。西洋諸国に対しての力の差を人々は自ずと感じていたのだろう。しかし、今の日本人はどうだろうか。特に私たち若い世代は世間や社会に対して興味が薄いように思える。それは選挙の投票率の低さなどが物語っている。また、今は人と人との関わりが希薄となり鬱が蔓延している。人々は他者に対して無関心であると言われている。こうした症状は、人間としての精神の危機ではないだろうか。
 福澤が日本に新しい風を入れることができたのは、福澤が若い頃に手に入れた三度の海外渡航の機会があったからであろう。
 当時西洋諸国は未知の土地であった。なぜ福澤はその西洋諸国に行こうとしたのか。
 それは、福澤が封建制に支配されていた当時の日本に疑問を感じ、実行に移す人物であったからだろう。その姿勢は今の私にないものであり、最も必要とされているものだ。
 文芸評論家の小林秀雄は、『考えるヒント』という本の中の「福澤諭吉」という一章で、「この窮地に立った課業の困難こそわが国の学者の特権であり、西洋の学者の知る事の出来ぬ経験であると考えた。」と述べている。漢学から洋学に変わっていく時代の切れ目、変化を福澤は敏感に捉えていたのだ。
 福澤の本当の素晴らしさは、新たな学問を受け入れたことだけにあるのではない。同時に学者たちが追い込まれていた現実も、福澤ははっきりと見抜いていた。漢学や洋学を照らし合わせることは、西洋の学者の知ることの出来ない経験であると考えたのだ。
 逆境を良い方向へと導き、良い面と捉えようとする力、福澤には確かにその力があった。
 福澤が現代の若者ならば、「現代」という環境の良い面を捉えるだろう。今は複雑で、先の見えない時代だ。だからこそ福澤なら返ってやりがいを感じ、自ら時代を切り開くだろう。

学問について
  福澤諭吉の『学問のすゝめ』に、「ただ生計をこれ争うの勢いに至らば、俊英の少年はその実を未熟に残うの恐れなきに非ず。」という部分がある。生計を立て、安定を求めるために学問をすると、才能のある人も実を結ばないということだ。
 福澤は、慶応義塾を設立し経営していくにあたって、当時は異例であった、生徒から毎月月謝をとることを始めた。しかし、福澤は決して金儲けのために生徒から月謝を取った訳ではない。慶応義塾を維持するためだけに、月謝をとったのだ。『福翁自伝』に、「第一私が一銭でも塾の金を取らぬのみか、普請の時などには毎度此方から金を出してやる。教師たちもその通りで、外に出れば随分給料の取れるのを取らずに塾のことを勤めるから、これも私金を出すと同じことである。」という部分がある。この部分から、福澤が教育を、利益を上げるのではなく、教育を広めるという目的のためにしていたことが分かる。
 福澤の教育者としての姿勢に大きく影響を及ぼしたと思われるのが、師である緒方洪庵だ。その洪庵もまた、師である坪井信道という蘭方医の影響を受けている。坪井の塾では、盆暮れに師に「御礼」する熨斗もわずかな量だけで良しとし、塾の経費を自分の医師としての収入でまかなっていた。
 坪井信道も、緒方洪庵も、福澤諭吉も、損得を考えて教育をする人ではなかった。むしろ、学生たちに学問をさせるために自らの家計を削っていた。こうした師から弟子へ、脈々と受け継がれてきた教育に対する精神は、後に多くの人に影響を与えた。
 私は彼から「生きた学問」の意味を感じる。それは、自分が持っているものを伝えようとする意志の強さのことではないかと思う。
 そして私はここに、坪井や緒方、福澤の教育者としての素晴らしさと確かな意思を感じるのだ。本当の教育とは、師から弟子への精神の教育ではないだろうか。そして、今日の教育にない師と弟子との心のつながりに新鮮さを感じるのだ。
 しかし、こうした教育の姿勢は今では薄れている。私たちを囲う教育環境は、打算や損得という思考がはたらいているように思える。
 私たちは予備校や塾などに通ったりする。一九五〇年代後半から大学受験者数が増え、予備校などは産業として発展した。
 高校生になると私たちは大学受験についての説明を受ける。しかし、私たちは「大学受験」のために勉強するのだろうか。
 多くの高校生が大学受験に必要のない教科を、「切り捨てる」勉強をしている。私は日常の中で、こうした光景をよく目にする。
 私も以前は「切り捨てる」勉強をしたことがある。しかし、今は別の考えを持っている。
 ある人物のスピーチと一冊の本が私にそれを教えてくれた。
 授業でスティーブ・ジョブズのスピーチを読む機会があった。ジョブズ氏は、大学時代に文字芸術の授業を取ったことがあると語った。アップル社と文字芸術、一見何も関係ないように思えるだが、彼が商品のデザイン、見た目、芸術性にこだわる中で多いに役立ったのが文字芸術だ。彼自身、好奇心からこの授業を取っただけだが、十年後に仕事中、その知識が急に蘇ってきたそうだ。
 また、広中平祐の「学問の発見」にも、興味深い部分がある。広中はその本の中でフランスの数学者ポアンカレの「創造とは、マッシュルームのようなものだ」という言葉を紹介した。マッシュルームはキノコの一種である。キノコは土の中に菌根と呼ばれる根を持っている。根は条件が良いと広がり、成長する。発達する中で根の成長を妨害する、季節や温度などの条件が与えられると、胞子という形で種子をつくって発達を続け、キノコになるのである。
 蓄積なしにはキノコは地表に芽を出すことができない。ここでの蓄積が、ジョブズ氏の文字芸術だとすると、アップル社の商品そのものが地表に芽を出したキノコだといえる。
 打算によって今学ぶべきことを切り捨てること、それはある意味で未来の視界を狭めることになってしまうのではないかと思う。
 福澤は自伝で自分と緒方の塾生について「目的のなかったのが却って仕合せで、江戸の書生よりもよく勉強が出来たのであろう。」と述べ、また、学問について「始終我身の行く先ばかり考えているようでは、修業は出来なかろうと思う。」と言っている。その言葉の通り、目的による打算で学問をしては、本当の学問はできないということだ。
 今の若者の約八十三パーセントが「十分な収入が得られるか不安」と感じている。良い学校に入り、良い会社に勤めることが幸せな人生につながると多くの人は考えてきた。私たちは「安定した収入を得るための勉強」をしているのではないだろうか。
 福澤が私たち現代の学生の状態を見たら何と言うだろう。きっと「このような学問の仕方では、学問の楽しみや発見をとうてい味わうことが出来まい。打算による勉強は大きな飛躍にはつながらない。」と言うだろう。
 では、福澤が現代に生きる若者だとしたら、どのように学んだのか。
 まず、福澤は幅広い分野の学問に興味を持ち、学んだことから、打算による学問というよりむしろ、好奇心による学問をしていたのだろう。そして、打算による学問に嫌悪を抱くだろう。
 そして、今の与えられるだけの教育に疑問を持つはずだ。私たちは今、狭い教育の中にいる。本来自分から能動的に興味を持ち、学んでいくはずの内容が今では受動的にただ受け入れるだけになっている。一つの疑問をとことん突き詰め、足しげく教師の下に質問しに通う福澤の姿が想像できる。
 福澤は『文明論之概略』で「故に単一の説を守れば、其の説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず。自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し。」と述べている。これは、真理を内包しているような学説でも、それだけが支配していたらそこから自由は生じない。自由は多事論争、いろいろなせめぎ合いの中からしか出てこないという意味だ。
 私たちは論じることを知らない。単一のものすら作れず、壁を破ることもできない。福澤が現代の若者だったら、徹底的に論じる方法を模索し、行動に移すだろう。現代はソーシャルメディアによって、大勢の人に自分の意志を伝えることが出来る。福澤なら、フェイスブックやツイッターなどを使って論じ、意見を述べるための場所を設けただろう。福澤の生きた時代は互いの顔を見ての議論であった。ソーシャルメディアは顔も知らない者同士の密度の薄い議論だ。しかし、福澤はその幅広いつながりの可能性を利用しただろう。そして、「私たちは打算や受け身でなく、もっと能動的に議論し、考え、学ぶ必要がある。」と多くの人に語りかけ、論じるだろう。

「AKB48」と福澤
  福澤が現代に舞い降りて、今大人気のアイドルグループ「AKB48」を見たらどう思うだろうか。
 「AKB48」とは、私たちの誰もが知るアイドルグループで、多くの少女の憧れの的だ。その背景には、自分もアイドルになれるという感覚がある。そして、彼女たちの大部分が素人であり、どこにでもいそうな普通の女の子から選ばれているからだ。
 「消費される快楽」を、私は「AKB48」に感じてならない。その快楽は、アイデンティティーの喪失から成り立っているように思える。人は自分が何で在るかを考えながら生きる。それはある意味でとても難しい出来事である。「ネクラ」という言葉が流行ったことがあるが、自分を相対化することは、重く困難で人間的な行為であろう。「AKB48」が象徴しているものは、その「ネクラ」を徹底的に排除するところで成立しているようだ。
 消費は文明に勝ると「AKB48」を見て思う。それは消費の拡張そのものに意味があり、消費されるアイドルやその取り巻きには、何の意味ももたらさないからだ。刹那的な喜びと虚構としてのアイデンティティーが、そこにあるだけだ。消費される快楽は病気のようにとりついて止まない。福澤諭吉は、高度消費時代を理解できるだろうか。福澤の『文明論之概略』には、文明への意思と方法が書かれている。「所謂世論は、此の輩の間に生ずる議論にて、正に当世の有様を摸出し、前代を顧て退くこともなく、後世に向ひて先見もなく、あたかも一処に止まりて動かざるが如きものなり。」人々が過去を省みることもなく、未来を見通すこともなく、今の瞬間ばかり見ているので、現在の状況が絶対化されてしまい、相対的に見たり、考えたりすることがなくなってしまう。福澤は今この瞬間だけを生きている人々を否定するだろう。
 「AKB48」を芸能として考えるのではない。消費の拡大を徹底的に推し進めたのは、背後にある企画者ではない。私たちの中にある、「空虚さの代償」としてあるのが「AKB48」ではないだろうか。その空虚とは、拠って立つものの不在である。
 「AKB48」の中に、表舞台で活躍のない少女たちは何百人もいる。ここで注目したいのは、彼女たちの十年、二十年後だ。時間が経つうちに、若さが消え、人気が消えれば、彼女たちには何が残るのか。そのとき彼女たちは取り換え可能な「もの」となってしまいはしないか。
 現代に生きる私たちの生活は消費経済から成り立っている。今目の前にある、大量消費によって成り立つ経済の仕組みに気付くことができない私たちは、恐ろしく鈍感なのである。鈍感であって、そして考えることを知らない。
 考えることを知らない私たち、そんな今の人間を見たら、福澤はどう動くだろうか。
 私たちが考え、判断することによって「衆論」は創られていくのだ。
 『文明論之概略』に、「唯衣食住の安楽あるのみにて、其の智徳発生の力をば故さらに閉塞して自由ならしめず、民を視ること牛羊の如くして、これを牧しこれを養ひ、唯其の飢寒に注意するのみ。其の事情、啻に上より抑圧するの類に非ずして、周囲八方より迫窄するものゝ如し」と言う部分がある。物質的な安定が保証されていても、「周囲八方より迫窄するものゝ如し」のような、社会的に締めつける要因があると息がつけない。福澤はこのような状態を文明ではないと批判している。
 現代はこれと似たような状況にあるのではないだろうか。
 私たちは物質的には満たされた環境にある。しかし大量消費経済の中、知らず知らずに自らを苦しめたり、だれかを苦しめている環境にある。今の状態は、福澤の言う「文明」とは言えないだろう。そして、私たちの世代を泡のように脆い存在だと強く感じるだろう。

再び変人クラブ
 経済の目まぐるしい発展により、日本人は物質的な恩恵と豊かさを得た。私たち若い世代は「デジタルネイティブ」という呼称すら与えられた。しかし、それと同時に自ら考え動く力を失いつつある。それは精神の衰えであり、物質的な欠如よりも深刻な状態だ。しかし私は希望を持つ。どんな時代であっても、人は考え生きなくてはならない。困難が多ければ多いほど、人は奮い立つのだと、福澤に感じたからである。
 私は、このテーマを通して少しだけ福澤と会話したような気持ちになった。私は周囲から「変人」と呼ばれることが多い。以前は気にしなかったが、最近それがどうしても気になってしまう。しかし、福澤なら私にこう言うであろう。「もっと変人であれ!」と。
 福澤諭吉が現代に生きる若者だったら、きっとどこかに福澤の「変人クラブ」が存在するだろう。それは時にネットの中であり、現実の中にもあるだろう。私はそれを想像してみたくなった。

参考文献
福澤諭吉著『学問のすゝめ』(岩波文庫)
福澤諭吉著 岬龍一郎訳『学問のすすめ』(PHP)
福澤諭吉著『福翁自伝』(岩波文庫)
子安宜邦著『福沢諭吉『文明論之概略』精読』(岩波現代文庫)
丸山真男著『「文明論之概略」を読む 上』(岩波新書)
小泉信三著『福沢諭吉』(岩波新書)
北 康利著『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』(講談社)
小林秀雄著『考えるヒント』(文春文庫)
橋元良明著『メディアと日本人』(岩波新書)
広中平祐著『学問の発見』(佼成出版社)

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