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僕の地図が真赤になった

加藤義人 (小6)

 ぼくの作った地図が真赤になった。アフリカの地図を描いて、飢えている国を、色鉛筆の赤でぬってみたのだ。地図が、ベルトをしめたように赤くなっていった。
 ぼくはアフリカのことを調べてみた。飢えがあることさえ知らなかったからだ。
 なぜ、アフリカの子供は飢えているのだろう。「世界の国々」という本を読んだら、リベリア、コートジボワール、シェラレオネなどの国では、子供がどれいのように働かされていると書いてあった。そこには、長く続く内戦や、貧しさ、また病気などの問題がある。
 昔のアフリカは、自給自足の生活をしていた。そこに先進国が勝手に踏み込んで行ったそうだ。その時代は、アフリカからいろいろな「もの」や「人」をうばった。人は、その時どれいにされたのだ。学校を作って勉強させたり、仕事の仕方を教えたりはしなかった。それが植民地だと本には書いてある。ぼくはとても悲しくなった。アフリカの不幸な歴史が、今のアフリカの飢えを作ったのでは、と感じたからだ。アフリカは世界から取り残されている。飢えのある国は、みなそうなのかもしれない、と思った。
 ぼくは食べることが大好きだ。食べることで、ぼくはすごく幸福になる。だから飢えている子は、どんなに悲しいかぼくにはわかる。ぼくは幸福なのに、なぜアフリカの子供は苦しんでいるのだろう。
 ある日、ぼくは食事のとちゅう、お父さんに質問した。それは昔ご飯を少し残した時、怒られたことを思い出したからだ。
 「ご飯を残して、おれも子供の頃おやじに怒られたことがある。ゴツンと頭なぐられたこともあったなあ」。おじいちゃんがお父さんを叱ったのは、六十年前の戦争が理由だった。おじいちゃんの友達は戦争で遠くの国へ行き、飢えて死んだそうだ。戦争が終わった後も、両親を亡くして一人ぼっちの子供たちがあちこちにいた。その子たちは、いつもお腹をすかせていたそうだ。おじいちゃんは、お父さんに食べられることがどんなに幸福か伝えたかったのだ。お父さんもぼくに、そのことを伝えたかったのだと思う。
 日本も六十年前はアフリカの子供のように飢えていたのだ。戦争のために。アフリカの今と同じではないか。飢えは、人と人との仲が良くないところに生まれると感じた。アフリカは貧しい国が多い。それは豊かな国が助けないからだろう。
 ぼくにできることは何か。考えて、たった一つできることがある、と気がついた。それはぼくが今持ったような気持ちを、みんなに伝えていくことだ。「世界では飢えて死んでいる子供たちがいること」「なぜ飢えは起こるのかを考え続けていくこと」。そして大人になったら、それを元に行動したい。
 ぼくの作った地図の赤がだんだん消えていくのは、ぼくたちがアフリカで起こっている飢えを他人事ではないと思って行動する時だ。


2005年 国連主催
「世界の飢餓を考える」作文コンクール 外務大臣賞受賞

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