筋トレは頭がばかになる!?

     好きなこと見つけて

 初夏のさわやかな風が吹く放課後。外の水飲み場の方で、陽気な声がしていた。空手部の生徒たちだった。寝転ぶ者、ほとばしる水を飲む者、腹を抱えて笑う子たち皆の顔が晴れやかだった。
 学校を流れる時間の中で、私がとりわけ好きな時間帯がある。放課後。部活動を終えた生徒たちが、ゆっくりと戻って来る時だ。どの子も、部活動に『心を打ち込んだ』後の解放感で、いい顔をしている。そんな生徒たちを見るのが好きだ。
 「筋トレしすぎると、頭がばかになるんだよ、先生」。空手部副主将の横山が、通り掛かった私に声を投げた。「えーっ、ホントになるの?」「なるさあ」。周りにいた生徒たちがどっと笑う。『筋トレ』とは『筋肉トレーニング』の意味だ。私はとっさに、運動が過ぎると酸欠になるから、脳の働きが落ちるのかな、と思った。「ちょっとぐらい悪くなっても、関係ない、ない。今とあんまり変わらないって!」。私の言葉に反応するように、もっと大きな笑い声が、校庭を駆けていった。
 空手部の生徒たちは、おおらかで心根がやさしい。けったり殴ったりするスポーツなのに、殺伐としたところがなく屈託ない。主将の中村に言わせると、顧問の下園先生は「死ぬほど空手を愛している!」のだそうだ。そして『人の道』をきっちり説く『絶対曲がらない先生』でもあるのだ。その言葉をおどけながら言う生徒たちから、親愛の情があふれていた。
 「死ぬほど空手を愛している」顧問の姿から、生徒たちが得たものは多い。ポーズやパフォーマンスでは、生徒の心はつかめない。ひたむきに好きなことに打ち込む姿勢が、共感を呼ぶのだろう。スポーツであれ芸術であれ、技術を教えることはできる。しかし人をはぐくむのは技術ではなく、教える人間の生き方なのだ。難しいが、そこが大切なのだ。
 後日の教室。「筋トレの後遺症、どう?」。横山をからかってみる。「大丈夫だよ、先生。ちょっと練習きつかったから、言ってみただけ。あれは、『できることなら練習やりたくない』っていう意味だよ」。彼は微笑みながら答えた。私はその笑みから、彼の中に、「死ぬほど好きになることの大切さ」が育っているのを感じていた。
 試合に負けると、悔しそうに泣いていた彼らも、全員、今では黒帯を締めている。

2001年12月1日掲載 <6>  

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