風の音を、目で聞いて

      心通じ合える幸せ

 その少女は、いつも遠くを見るような目をしていた。自分の未来を確かめるように。
 最初にえり子を知った時、私は、かたくななものを彼女に感じた。幼児期に聴覚を失っていたえり子は、聞くことはできなかったが、話すことはできた。私の勤める学園は彼女を受け入れた。だれでも育てよう−。そんな意識が、学校にはあった。
 高二の時、えり子は文芸部に入部してきた。彼女に対してどれだけ普通に接することができるかが、私が自分に課した課題だった。同情や哀れみでは対等な関係ができない、それが私の信念だった。えり子は私の薦める本をよく読み、私の言葉をいつも一生懸命聞こうとしたが、私の問いかけや手紙などに対しては、感情的な応答はほとんどなかった。固い姿勢を崩さないまま、彼女は大学に進学し、学園を去った。
 しばらくして、手紙が届いた。「普通に接してくれた先生が好きでした。でもその気持ちに素直に甘えられませんでした」。そんな内容の手紙だった。私の心に熱くこみあげてくるものがあった。えり子は、自分が人とかかわれば、相手に迷惑がかかると思って生きている子だったのだと、その時分かった。
 言ってしまって気持ちが楽になったのか、手紙が頻繁にくるようになった。
 今、彼女は、筑波大学の博士課程で勉強している。国文学という自分に合ったものを見つけ、いきいきと研究生活を楽しんでいる。私たちは、普段はファクスで自由に会話をし、帰省すれば必ず会って四時間も五時間も話をする。私たちの話は、「ノートに書く」という形が大方なので、そのノートは今では十数冊になっている。読み返してみると、かたくなに世界を拒絶していた彼女が、どうやって心を開き、世界と和解していったかが、よく読み取れる。
 ある日、彼女が私に、「先生の声が聞こえます」と言った。不意を突かれ、私は動揺した。病院の検査では聞こえないはずの音が、聞こえるのか、と。
 仏教に『摂取される』という言葉がある。心が無心になった時、お釈迦さまに大きく抱え込まれ幸福になることを言うらしい。私はえり子の言葉を聞いた時、ふと、その言葉を思い出した。教える生徒に、大きく『摂取』された思いがあった。気持ちが通じ合うことがどんなに幸福なことか、えり子にあらためて知らされたのだった。
 彼女が遠い目をしている理由が分かるようだった。目の前の木々や草を渡ってゆく風の音を、えり子は目で、聞いているように思えた。木漏れ日がちらちらしたり、葉っぱがざわめく気配で、風を知るのだ。私たちよりもえり子は、本当の音を聞いているのではないか、と思えた。 (この稿続く)

2001年12月29日掲載 <9>  

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