風の音を、目で聞いて(その2)

      心託す大切さ理解

 ありのままの自分を『他人に託す』ことが、どんなに大切か。そして『託す』ことが『受け入れる』ことと同時にあるということの意味を、私たちは忘れかけている。
 先日、ある人の講演を聞いて、その思いがいっそう強まった。東大生の講義の受け方から見えてくる風景だった。話はきっちり聞き、ノートも正確にとるが、何の反応も答えも返って来ない、という話だった。なぜ答えを出さないのか。その講師は言った。「彼らは間違うことを恐れているのです」。間違うことにより傷つくことを極端に恐れている、それが結論だった。彼らは将来、人間関係のしがらみの中で、どう生きてゆくのだろうか。
 聴覚に障害のある卒業生えり子から、よく手紙が来る。彼女は筑波大学博士課程の学生なので、書き上げた論文への批評を求めるものや、自分の目指している学問や生き方の悩み、性格のこと等、手紙の内容はさまざまだ。
 その彼女の手紙の調子が、急に変わった。私が彼女に、自分の置かれた人間関係の悩みを伝えた時からだった。「先生のように、耳が悪い者に対しても普通に接してくれる人って、少ないのです。多くの人は、私とどうコミュニケーションをとるか戸惑って、結局私とのかかわりから逃げます。そんな時寂しくてたまらないので、先生のように、私から絶対に逃げないでいてくださる方のことを思って、じっと耐えます。どんなことがあっても、私は先生の生き方を信じています。いつか私も先生の役に立つことができたら、と思っていました」
 私は胸が温かくなった。そして後の文面から、彼女の心の変化の意味を知った。「私は自分の持つ障害のために、人に、迷惑をかけると思っていました。でもその考えは間違いだと知ったのです。私は傷つくことを恐れていました。疎ましいとか、面倒だと思われるのを恐れていたのです。私は他人の中に飛び込んで行こうと決心しました。傷つくことを恐れない。ありのままを、ちゃんと受け止めなくては駄目だと思ったのです。すると不思議なことに、友達ができました。心の在り方で、人は変わるのですね」
 私は初めて、えり子に自分の心の内を語った。無意識のうちに『心を託して』いたのだ。彼女はそれを『受け入れ』て励ましてくれた。
 私たちの関係では、お互い傷つくことはない。もし傷ついたとしても、関係そのもののきずなの強さが互いを支えるだろう。私は彼女によって再び、『心を託す』ことと『受け入れる』ことが、どれだけ人が生きてゆく上で大切なのかを知った。
 えり子は今も、じっと風の音を目で、確かめているのだろう。その風の音は、私の心にも響いてくる。エールのように。

2002年1月5日掲載 <10>  

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