空手は心のかたち

      人を守り、自分を守る

 「するか、しないか」を一瞬の内に判断しなくてはならない時がある。
 基樹は苦しい立場に立たされた。部活動の帰り道、駅のガード下だった。同世代の少年二人が、小学生を囲んでお金をゆすり取ろうとしていた。見過ごすことが基樹にはできなかった。だが、空手部に所属している基樹は、顧問から厳重に言われていたことがあった。空手2段の父親からも。「決して空手を使わないこと。空手を学んだ手は、凶器だ」が、それだった。
 でも、子供を助けたい。その時、少年の一人が、小学生にタバコの火を押し付けようとした。基樹はカーッとして、我を忘れた。「やめろよ、子供から金をとるのは!」。基樹の声が少年たちをたじろがせた。少年たちは身構えた。「お兄ちゃん、やめて!」。子供たちが泣いていた。基樹は学んだ空手の形をとった。すると彼らは、慌てて立ち去った。何も起こらなかったことに、基樹は安堵(あんど)した。だが、顧問や父の言葉を守ろうとしなかった自分を彼は責めていた。同時に、空手をやめてもいいからこれをとめようと思ったのも真実だと思った。
 帰宅して、真っ先に父親に出来事を話した。心があまりにも重かったから。父親は、その場を通り過ぎなかった基樹を、よしとした。間違えば、けがや死ぬ羽目になったかもしれない基樹を、責めるより誇りに思ったのだろうか。
 基樹は子供を「守る」という行為で、自分の心を守ったのだ、と私には思えた。空手の成り立ちは、武器や戦うすべを奪われた人たちが、自分たちを「守る」ために編み出したものだと聞いたことがあった。素手でも大切なものは守ることができる、そういうぎりぎりのところから、空手は生まれている。基樹はきっと、他人を「守る」ことは自分を「守る」ことなのだということを、空手を通して学んでいたのだろう。
 基樹が入学する前に、私は「進学相談会」で、彼と両親に会っていた。『人間教育』を学園は目指していた。進学校を出て、著名な企業のエリートマンの父親は、近ごろの「進学だけが売り」の教育の場には不信を持っていた。今、子供たちに失われつつある「人の優しさ」や「生きる力」を与えてくれる学校を、と思っていたのだ。しかし本当に「人間教育」は実現できるのか? 半信半疑でもあった。長く話をし、基樹親子は帰っていった。そして入学式の日、にこにこ笑う基樹の顔があった。
 この三月、基樹は卒業式を迎える。「芥田に来て本当に良かった。父も母もそう言っています」。私の心の中に、喜びが、彼の父親に対する答えのように広がっていった。

2002年1月26日掲載 <12>  

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