やわらかな心

      アフガンの現実を思う

 「学校というところへ行ってみたかった」。アフガンの少年が言った。彼は大きな銃を握っていた。目の前で父と兄を殺され、戦線に付こうとしていた。彼は死ぬのだ、と私は直観的に思った。同時に「学校というところ」の言葉の持つ重さにも衝撃を受けていた。
 定期試験が終わった教室。私は生徒たちに、その話をした。そしてテロ報復戦争に巻き込まれたアフガンの三十万という人々が今、食べ物もテントもない雪の中で、死におびえているという話や、日本の残飯率がとうとう50%を超えたという新聞の報道などを伝えた(世界的に見れば数分に一人が餓死しているのに、日本は食べる量よりも捨てる方が多いのだ)。
 アフガンの現実を真剣に聞く生徒たちに、私は少し驚いた。つまらない。関係ないや。ふーん。そんな生徒もいるだろうと思っていた自分を恥じた。彼らはしーんと、私の話を聞いたのだ。日ごろ言うことを聞かない生徒や反抗的な子も。近ごろの子供たちは心が乾いている、ジコチュー(自己中心)と言われるのに。
 「思っていること、書いてみる?」。とっさに私は言った。生徒たちは素直に了解した。熱心に、彼らは思いをつづった。分けた紙では足りずに、何枚も取りに来る子もいた。日ごろからは想像もできないことだった。「おれ、まじ真剣に書いたよなあ」。あきれたようにつぶやいた子もいた。
 「なぜ人は殺し合うのか」「毎日ご飯を食べて学校へ行ったり、おふろに入るのは当たり前と思っていた」「日本は武器を送ることよりも、アフガンを助けることをすぐ考えなければ」「アフガンに平和が来て欲しい。ビン・ラディンは嫌いだが、でも生きていて欲しい」。男の子も、女の子も、皆やさしかった。生徒たちは、彼らなりに自分を取り巻く『世界』を感じて生きている。それが私の偽りのない実感だった。彼らが表現したやさしさも、皮肉も、あきらめも、どこか切実に生きたいという心の表れのように思えた。切実に生きる、その手だてが分からないだけなのだ。
 日本から送られた大学ノートと鉛筆を抱き締めていたアフガンの子供たち。それはたったの四十円だ。子供たちの眼は、学ぶことへの期待で輝いていた。その輝きは今の日本の子供たちにあるのだろうか。
 ある作家が「今の日本には、ないものはない。しかし希望だけがない」と言っていた。が、生徒たちの書いた思いの数々をたどると、『希望』は失われたのではなく、子供たちの心の中に今でもある、と思えるのだ。

2002年2月2日掲載 <13>  

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