言葉に触れて(その2) | |||
物質文明に負けぬ人間に |
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「この夏、私は『貧乏旅行』なるものを体験した」で始まる朱香の論文は、慶応義塾大学主催の「小泉信三賞」論文コンテストで見事、「小泉信三賞」に輝いた。前年、文部大臣賞を受賞した彼女の、二度目のチャレンジだった。テーマは、福沢諭吉の著作を読み、現代日本を考察せよ、という難しいものだった。物質的にはこんなに豊かになったのに、なぜ人は幸福そうではないのか、なぜ少年犯罪は起こるのか。それを福沢の著作を読み解きながら、家族の問題と絡めて彼女は考えていった。 『貧乏旅行』と朱香の父親がジョークで言った旅行。ワゴン車の中で寝泊まりする、お金をかけないその旅が家族に思いもかけない感動を呼び覚ましたことに彼女は気付く。それは、今までの民宿やホテルに泊まる旅行より、どんなに新鮮で、どんなに家族を結び付けたことか。「私は経験したことのない世界を見た。朝、大きなトラックの影から太陽が光を投げ掛けるのを。垣根のむくげの花や欅(ケヤキ)の茂みが生き生きと目覚めるのを」。世界はこのように在る、ということを彼女は初めて実感する。心のありようで。『貧乏なのに心は豊か』『物だけは豊富なのに心は貧しい』。身をもって体験したそれは、論文のキーワードになった。 現代の家族の在り方から、朱香は子供たちの心の問題を考えた。その果てに、経済や科学の発達の影で取り残された人の心や、そのゆがみに行き着く。そして「現代のようなゆがみのある『物質文明』に負けない人間であるためには、『家族』という小さな単位での『社会』を考え直すことが必要ではないか」と主張する。 授賞式の日。私も招かれて慶応義塾大学に行った。毎年授賞式は、福沢諭吉の誕生日の祝典の中に組み込まれている。その後の祝賀パーティー。たった五人(佳作を含め)の受賞者のために、大勢の関係者が本当に心温まるお祝いをしてくださった。真摯(しんし)にものを考えようとする若者がいて、それを温かく見守る良識ある大人たちがいる、そのことに私はひどく感動した。審査員の一人、作家の坂上弘氏が「考えることを着実に始めている。おめでとう」と評してくださった(「三田評論」一月号掲載)。私はその時、このコンテストの意図は、そこにあったのだと知った。そしてそれは、明治の激動を、新しい時代を模索しながら生きた福沢の思想とも重なると感じた。 人は、どこにでもチャンスがある。誰にも可能性がある。今はほんの少ししか見えていないとしても、それは豊かな鉱脈として誰の中にも眠っている。それを発掘するのも、教師の大きな仕事ではないだろうか。どうせできない、そう思うのは「子供の限界」ではなく、教師側の「意識の限界」なのだ。 この四月、朱香は筑波大学に入学する。言葉に触れて獲得した世界を、もっと深めるために。
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