19歳の卒業生

      “炊きたてご飯”に支えられ

 ポケットには二百円しかなかった。名古屋までの電車の切符を買ったらそれしか残らなかった。大阪の調理師専門学校に合格した報告をした後で、浩は自分の歩んできた道程を語り出したのだった。
 両親の不和。それが彼の生き方を決めた。小学校の時から、家庭のもめごとに浩は傷ついていた。その結果、入学した公立高校も一年でやめた。一刻も早く家を出て働きたいと思ったのだ。家出まがいの生活がしばらく続いた。その暮らしの中で、どうしても成りたいものをつかんだ。それは『料理人』だった。おいしいものを喜んで食べてもらう仕事。
 家庭の都合で浩は小学校の四年から、一人で自炊をして学校に通っていた。彼は私に、「炊きたてのご飯を見ると寂しさが消えた」と語った。「先生にうまい料理を食べさせたい」と言う浩に、『炊きたての白いご飯』に支えられた彼の心が見えた。どんなに自分の作った料理と炊きたてのご飯が、彼の心を慰めたかを。それが『料理人』に浩を導いた大きな出来事だったのだと。ぐれても仕方のない環境の中で、一人でもくもくと自分の手料理を食べる少年。彼は自分が支えられた『食べること』を、人にも伝えたいと思ったのだ。料理を作ることを通して。私は彼のその思いに、心を打たれた。
 浩が志望した調理師学校は高卒の資格が必要だった。そこで彼は、私のいる学園に再入学してきたのだった。過年度生だったからか、いじめに似た仕打ちもあった。が、何とか卒業にこぎつけた。専門学校の合格通知をうれしそうに見せている浩に、私は「卒業できないかと思った時期があったのよ」と本音を語った。「俺(おれ)も」と照れるように彼も言った。卒業も押し迫ったころ、彼は突然、学校に来なくなったのだ。「家でのごたごたで、また家を飛び出しちゃったからなあ、俺。カッとしてね。名古屋に着いたら二百円しかなかった。その日の夜九時に面接して、その日から働いた。肉体労働よ。その日に金もらわないと、食えねえからさ。でも、荷物の積み降ろししながら、これで良いのかなあって考えた。自分のしたいこと捨てて良いのかなあ、って」
 希望が、環境や自分の弱さで見えなくなることがある。私は浩が踏みとどまったことを、彼の成長と喜んだ。
 「君をいじめた子たちも、したいことがつかめたらいいのにね。甘えてばかりいて」。「うん。でも、おれだって親に甘やかされてきたら、そうなっていたと思うよ。甘えられなかったから長い回り道したけど、未来が見える」。浩の横顔には、静かな力が満ちていた。その横顔に、一人で炊きたてのご飯を眺めている少年の姿が、重なった。

2002年3月23日掲載 <19>  

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