I LOVE コンピューター(その2)

      人の限界を超える魔力

 コンピューターの傍らにいないと、不安。パソコンを操作していると、安心。そんな心の在りようは、どこからやって来るのか。私も始終パソコンを頼りに、必要な情報を得る。すばやく、そう本当にあっという間に、必要な情報が大量に流れ出す。本や資料をひもとく手間が省かれ、実に重宝なものができたと、いつも思う。しかしその半面、まずいなという感覚が私を襲う。『考えること』をしないで答えや情報を得ることの果てにある、不気味な世界を感じるのだ。知識や映像はどんどん拡大され、未知な感覚を人は知ることができる。が、それは進歩ではあっても、もしかして、人としての限界を忘れさせる危険を、はらんでいるのではないか。『人の限界を超えること』の魅力と魔力。健太がコンピューターに囚(とら)われていたのは、そこに原因があったように思える。
 『人の限界を知る』。そのことを通して、健太はコンピューターの魔力から離れられた。
 ある日、健太の父親が、部屋に閉じこもっている健太を強引に外に連れ出した。車が向かったのは、かなり険しい山だった。用意した登山靴をはかせて、引きずるように登山を始めたのだった。最初は抵抗していた健太だったが、置いてきぼりにされる不安からか、父親の後を渋々追って来た。くたくたになって山頂に着いた。健太は水筒の水をむさぼるように飲んだ。「弁当がうまいと思ったことなんかなかった。けど、あの時の握り飯はうまかった」。私に彼は感激を伝えた。それから父親は、海やスキーに健太を連れ出した。そのような時の流れとともに、健太はパソコンとの距離がだんだんとれるようになった。異常な執着から、少しずつ逃れられたのだ。
 健太の父親が彼に教えたかったのは、『人の限界を知る』ということだったのではないか、と私には思える。パソコンの中では、人は天才だったり超人だったりする。また、そのように錯覚させる。しかし人は、心も体もひ弱で、傷つきやすい生き物だ。健太の父親は人の弱さや限界を、戸外に連れ出すことで教えようとしたのだろう。海の匂(にお)いや草いきれの香。風のそよぐ音などを肌で感じられる人のすばらしさを。
 だんだん人間の現実感が消えるように在るこの社会。その中で『生き抜くための創造力』は、どこにでもある自然の中に帰って行ったりすることで生まれる、という気が私にはするのだ。
 この春、健太は無事卒業した。私は、去年の秋に健太が言った言葉を思い出す。「祭りで御輿(みこし)をかつぐ。死に物狂いで」。御輿をかつぎながら、滴る汗にまみれた精悍(せいかん)な健太の顔が、目に見えるようだ。

2002年4月20日掲載 <23>  

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