過食と拒食のはざまで

      「あるがまま」が美しい

 「ぽっちゃりしていて可愛い」。そんな言葉が過食と拒食に走らせることがあるのだろうか。教育雑誌を読んでいて、私は一瞬、目を疑った。思春期の子供たちを襲う問題行動がテーマだった。その中の過食と拒食の実例に、私は衝撃を受けた。
 食べられない。食べれば吐く。そんな時が終わると、際限のない過食の時がやって来る。それが十七歳の少女を突然、見舞った病だった。何でもないと思われる言葉が、彼女をむしばむ原因になるなんて。自分の時代認識の甘さと、その少女の余りにももろい心がショックだった。現代ほど、多くのストレスを子供たちに与える時代はないだろう。いじめや受験戦争、家庭の崩壊、消費をあおる情報の氾濫(はんらん)。子供たちの心が歪んでしまう原因は、数えれば手に余るほどある。が、彼女のもろさはどこから来ているのだろうか。
 「自分がどれだけ美しいか」「美しくありたい」。それは今や、生徒たちの最大の関心事だ。特に女生徒は。幾人かの生徒のカバンには、子供向けのファッション雑誌がしまわれているのを私は知っている。見せてもらったこともある。化粧やダイエットの方法、色とりどりのファッションが紙面を飾っている。その雑誌はただ『消費』をあおっているように見えた。「美しくやせたい」と思っている生徒は、私のかつて勤めていた高校にもいただろう。「あるがままの今が、とてもきれいよ」と私は生徒に言うのだが、その言葉は何の力も持たない。それほど生徒たちは、あるがままの自分よりも、大人たちに操られた美に、のめり込んでいるのだ。子供たちをターゲットにした節度のない情報があふれている。日常的にそんな情報に接している子供たちは、作られた美をまるで自分のもののように錯覚して生きようとする。そこで、現実とのギャップが起こる。学校の規則やお金の問題。そして持って生まれた容姿などとの溝。そのギャップが、あの少女の病と心のもろさの原因になっているのではないか。これが、私の考えの果てだった。
 過日の新聞に、「女子高生の百人に一人程度とされてきた『思春期やせ症』の発生率は、今や二十人に一人、その予備軍は四人に一人」という調査結果が報道されていた。どこの学校にもこの現象が静かに蔓延(まんえん)しているのは、恐ろしいことだ。
 食べることが「生きるため」という常識が、壊れようとしている。あの少女を思うと、「生きること」を無意識にやめようとしている、とさえ思える。豊かさの中で、何も食べられない、味わう喜びがないというのは、とても辛辣(しんらつ)で、皮肉なことだ。
 経済と子供たちの関係を思うと、私はギリシャ神話に出てくるウロボロスの輪を連想してしまう。蛇が自分の尾を食べようとして、輪になってしまった話を。
 大人が子供の関心をあおり、消費へさそう。子供は欲望が満たされずに、心を病む。その関係が『ウロボロスの輪』のように、いつまでも解かれずに、続いてゆくのだろうか。

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2002年5月11日掲載 <25>  

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