感 情 教 育 | |||
思いは言葉を尽くして |
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言葉はいつの時代にも、壊れるものとして、在る。その壊れ方から、その時々の人の生き方が見えてくる。言葉は時代を映す鏡なのかも知れない。 今の子供たちが一番よく使う言葉、それは多分、「ムカつく」と「キレる」だろう。私はその言葉を耳にすると、心に何らかの抵抗が起こる。 ある日の生徒たちとの会話。「どういう時にムカつくの?」。答えは「怒られる。裏切られる。思い通りにならない。注意される」時など。私はそれらの言葉を黒板に書きつけながら「じゃ、もし『ムカつく』という言葉がなかったら、どう表現する?」。生徒たちはしばらく考えて、「悲しい。憎い。いらいらする。くやしい。怒れる。がっかりする。さびしい」など、いろいろな言葉をあげた。「そう、そんなにいっぱい複雑な表現ができるのに、全部『ムカつく』って言っちゃってるんだ、みんなは」。びっくりしたような顔の生徒もいるし、うなずく子もいた。一人の生徒が言った。「だって、『ムカつく』は『ムカつく』なんだもん」。私も生徒たちも笑った。笑いながら、「でもね、むかつくって、本来は気持ちが悪い時なんかに使う言葉でしょ」と私は言い、「自分の感情に合った言葉をちゃんと使わないで、それでいいとは思わないな」と続けた。 近ごろ、高校生のコミュニケーションの拙(つたな)さが問題にされる。それは、自分の思いをうまく他人に伝えられない問題だ。顔を見て話すより、顔の見えない「ケータイ」での頻繁なやりとりからも、その問題が見える。そして『ムカつく』で何事も語る子供たちの背後に、私たちの時代が透けて見えるのだ。言葉のセンテンスを短くする会話や「ムカつく」「キレる」は、一過性のはやりかも知れない。が、私はそんな言葉が作っている子供たちの心象風景に、「いじめ」や「無関心」そして「乾いた心」が見えて仕方がない。心の伝わらないもどかしさが、確実に、そこにあるからだ。 ある生徒が、「先生の話を聞いてから、なるべく『ムカつく』を使わないで話をしている。相手の気持ちも自分の思いも、何だかわかるようになった気がする。でも、『ムカつく』を会話で使わないのは苦しい」と告げた。私はその生徒をほめながら、「言葉って、目に見えないけど、人の歴史のすごい文化遺産だと思わない? 『世界の文化遺産』より、もっともっと大切な遺産。心を通じ合わせたり、考えを他人に伝えるのは言葉なのね。もし言葉がなかったら、今も人は猿のままだったかも」と言い、「言葉を大切にしないのは、人間の歴史を自ら見捨てるようなものよ」と心を込めて語った。 壊れた言葉は、再生するだろう。社会が自分の内に持っている歪(ゆが)みに気付きさえすれば。 今回使った絵は、私の友人である画家中津川浩章さん(東京在住)がかかわった障害者施設「川口太陽の家」の方たちの作品です。感情が素直に表現されていて、気持ちに染みる絵です。私はこれらの作品に、言葉だけでない「感情表現」があることを知りました。「ムカつく」という言葉に閉ざされてゆく子供の感情を重ねながら。
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