ブランドが心の支え | |||
“媚び”に隠された過去 |
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好悪の感情は誰もが持つ。しかしその感情のやって来る方をみつめることは、あまり無い。私は自分の中に生まれた「好きでない」という思いに、いや応なく立ち会うことになった。 その女生徒は、頻繁(ひんぱん)に職員室に出入りしていた。私がまだクラス担任をしていたころだ。隣のクラスのその生徒は、いつも先生になれなれしい態度で接していた。私にも。誰にでも「媚(こ)びる」という感覚を、私は彼女に感じていた。その「媚びる」がどうしても私に「嫌悪感」を芽生えさせるのだった。彼女は休みの日などふいに、私の自宅に遊びにやって来たりした。気の済むまでいると、私の部屋にぽっかりと空白を残すように、帰った。帰るというより、消えた、と言う方が正しいかもしれない。 人は生きた時を、知らず知らずの内に担う。私はある日、彼女が大人に媚びるその意味を知った。彼女は私に語り出した。自分が福祉施設から学校に通っていることの理由を。「児童虐待」。それが彼女の担った現実だった。懸命に涙をこらえているのは、目の赤さが物語っていた。幼児虐待が、近ごろ社会問題化している。が、現実に当事者である子どもに接して、その内容の凄(すさ)まじさに「人って何なのか?」を考えさせられた。ここでその逐一を話すのは私の役割ではない。ただその生徒のやわらかな両方の手のひらには、釘(くぎ)で穿(うが)たれたあとが残っていた。消したくても消せない記憶のように。 私は彼女の「媚び」を理解した。無意識に人のやさしさや思いやりに触れたい気持ちを。そして逆境を生きてきて、ささやかな「媚び」の中で、必死に人に触れようとする彼女の心のつよさを思った。 それから私たちは時々、食事をするようになった。卒業も近づいたころ、ホテルのレストランで会う約束をした。「ホテルで食事ができるの」と喜んでいた彼女が、私服で現れた。小さなポーチと白のパンツ。そしてブラウスにはたくさんのネックレス。私は不謹慎にも吹き出しそうになった。それはポーチやブラウスに今流行のブランドマークが付いていたからだ。聞くと、自分でブランドマークを雑誌から切り取って貼(は)ったのだそうだ。「先生。私卒業したら働いて本物のブランド買うから」。笑いながら彼女が言った。女生徒がブランドに過剰に興味を示すことに抵抗があった私も、「こんなふうにブランドへの憧(あこが)れがこの子を支えるのなら、ブランドも良いか」と心の中で思った。 私は彼女の「媚び」に「嫌悪」を感じた。それは私の中にある「媚び」への恐れなのかもしれない。そして彼女を虐待し続けた父親と、それを止めなかった母親の二人も、もしかしたら自分への「嫌悪」を子どもにぶつけていたのかもしれない。 自分の担っている時を、着実に知ることなくして人は人になれないことを、私は彼女から学んだ。
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