時分の花

      『良い顔』で青春送ろう

  「自分ができなかったことを」。この言葉が意味をもっていた時代を私たちはとうに卒業したと思っていた。しかし最近ある新聞の社会面に載っていた記事の中で、「自分ができなかったことを孫にしてしてあげたい」とコメントする人がいた。その記事は、小学生のファッションショーを扱っていた。派手な化粧と斬新(?)と思われるブランドの洋服を着た少女が、ステージで品(しな)を作っている写真が添えられていた。
 私たちの親は、戦争という過酷な時を生き抜いてきた。だがそんな時代も、辛いことだけでなく、ささやかではあるが思いやりや楽しみを見つけていたことを、母などの昔語りによく聞いたものだ。ただ食べるものの苦労話は誰もが語った。「ひもじい思い」。そんな言葉はもはや死語になった。世界には「ひもじい」は現実として生きているのだが。私たちの親は共通して、食べ物の不足や、自分がしたくてもできなかったこと、それを支えに子どもと接しているところがあった。母の縫ってくれた木綿のブラウスやスカートは丈夫で、それを着る自分がいつも晴れやかだった。たとえリフォームされたものであっても。「良く似合う」や「ちゃんと食べなさい」。いつも母や父に言われた言葉。その言葉が今となっては重い。
 私はこの記事を読んでいて、「自分ができなかったこと」が少しも現実感として伝わってこないもどかしさを感じた。平和と言えば平和。そののどかな感じから見えることは人の、「その時々の美しさ」を意識できない怖さだった。いくら子どもが可愛くても、体や心を晴れやかにするのは、高級なブランド品ではない。
 生まれたての赤ちゃんの肌は桃の実のようにみずみずしい。裸でも、「在ること」そのものが美しいのだ。美しさは、人のどの時代でも、違った形である。例えば思春期のころは、お化粧なんかしなくても、素材そのものの美しさで輝いている。それは人生の中でほんの一時であるが、いつの時代、どんな社会でも愛でられてきた。現代。そうしたことを教えたり大切にできないのは、社会そのものが成熟していない証拠ではないだろうか。古い時代のほうがよほど、人の「その時々の美しさ」を意識した生活をしていた。たとえ経済が小さな子どもをターゲットにしていても、その善しあしを判断する力は私たちには必要だろう。
 能で有名な世阿弥は「風姿花伝」の中で、能の心得として、「その時々の美しさ」を「時分の花」として語っている。若い時は何もしなくても様になっているし、余分なことをする必要がないと。それは多分若さから生まれる輝きには、技術や方法では適(かな)わないと言っているのだろう。室町時代のことだ。能の作法手引書であるが、人の生き方を示唆している。
 私は学校でお化粧をしてくる生徒を見つけると、「顔を洗いなさい。すごく良い顔が出てくるよ」と言ったものだ。そして、その「良い顔」を知らずに過ごす青春をいつも惜しむのだった。

2002年8月17日掲載 <34>  

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