誰も座らない椅子

 『書く』ことで自分さがし

 この秋開校した私の文章教室「スコーレ」を開く前に、六カ月ほど、一人の高校生の文章指導をした。学校を辞めてから私が初めて持った生徒だった。私の文章指導は、書く技術やノウハウをメーンに置かない。「書く」ことが「考える」ことに結び付くよう、「対話」や「思いを聞く」ことを大事にしている。
 彼女には父親がいない。両親の離婚によって、今は母親とともに暮らしている。本を読んだり編み物が好きで、平凡な家庭を夢見ている今どき稀(まれ)な心根を持つ少女だ。彼女は中学のある時期、不登校のような行動をとったことがあった。なぜ不登校になってしまったのか。彼女は不登校を克服したあとも、その原因を計りかねていた。至る所にあるいじめ。自分が持っている感性と友だちとのギャップ等、学校に足を向けさせなかった原因はさまざまあり、そのどれもが真実だった。しかし、それらの原因を辿(たど)ったとしても、まだ心に割り切れないものが残っていた。
 私は彼女に「家族って何か」を考えさせた。そして、ぽつりぽつりと書かせていった。初めは急がず、どんな思いや書き方であっても、受け入れた。言葉の接ぎ穂が見つからなくなると、雑談のような「対話」を試みた。書き続けられた原稿が増えるにつれ、彼女の目が輝き、光は強さを増した。出会ったころは伏し目がちだった表情も、どこかに消えていた。
 不在である父親との交流、懸命に働く母親。優しく見守る祖父母。それらの思いの軌跡を辿りながら、彼女は自分が「生きてきた意味」を知った。それは決して自分は「心の孤児」ではないという確証だった。自分を取り巻く人たちが彼女のことを見守ってくれていることを、書きながら彼女は確認していったのだ。あいまいだったものが見え始めてきた。
 「何かが足りない」。その思いがもしかしたら自分を突然おそった不登校の裏にあるのではないか。幼く未熟で、感覚がデリケートであればあるほど、その思いは心に食い込んでいたのだろうか。私は彼女の両親を批判するために、このコラムを書いているのではない。誰もが生きていれば、不可抗力の波にもまれるものだ。「何かが足りない」を必死になって埋めようとしていたのは別れた両親だと、彼女は書くことで知る。愛情の形を、ペンが辿る。書くことで、「何かが足りない」が「足りないこともある」という思いに変わっていく。その変化をもたらしたものは、彼女の自己確認の旅と、形は破れたとしても両親の子どもへ傾ける愛情なのだ。その誰もに、私は静かな称賛を送りたい。形は夫婦であっても、子どもたちが「心の孤児」である家族を多く見てきたから、なおさらのこと。書くことで、彼女は両親がそれぞれの個体を妥協なく生きたことを、綺麗(きれい)ごとでなく受け入れるまでに成長する。
 彼女との数カ月の交流を通して、「書くこと」の力と「家族の在り方」の大切さをあらためて知った。この秋彼女が成した論文は、『誰も座らない椅子(いす)』という論文だ。しかし座る人(父親)のいない椅子には、いつも愛情が座っている、と彼女には見えるのだろう。

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 「つかまえて!こころ」のパネルと挿絵原画展(中日新聞東海本社後援)を8日まで浜松市元城町の画廊「キューブ ブルー」(前11時−後7時)で開いております。筆者も会場におりますので、ぜひどうぞ。

2002年11月30日掲載 <44>  

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