ガブリエルちゃんへの手紙

      思いのこもったプレゼント

 私の主宰する文章教室でクリスマス会を開いた。「人をどのように思いやるか」。それをテーマに、楽しいクリスマスの集いを考えてみた。
 会の初めに、友人がある文章を読んだ。中日新聞が「テロと家族」で取材したニューヨークの一組の家族。その家族の思いを私がアレンジして、文章に仕立てたものだ。二〇〇一年の九月十一日に起きたテロの記憶は、いつの日も消えない悲劇としてある。その悲しみから懸命に立ち上がろうとしている家族の姿を、子どもたちに知らせたいと思った。朗読してもらった文には、「ガブリエルちゃんへの手紙」という題をつけた。
 ニューヨークに住む若い夫婦に子どもが授かった。夫婦ともに離婚家族の育ちだった。その生い立ちからか夫は「家族はばらばらであってはならない」といつも思っていた。子どもは、生まれる前に「ガブリエル」と命名された。夫はそれほど子どもの誕生を心待ちにしていたのだ。しかしガブリエルちゃんが生まれる十日前に、彼はあのテロの犠牲になる。「愛している」と妻に電話をしたのが最後だった。妻は悲しみの中で子どもを生み、子どもとともに生きることを決意する。朗読された文章はそんな内容だった。
 悲劇に負けないで生きようとする人の姿を、子どもたちに知ってもらいたいと私は願う。「テロと家族」に描かれたそれぞれの家族に共通してあるものは、「自分を生きる」ということだった。肉親を失った家族が、悲しみや憎しみにおぼれないで「自分を生きる」。そこに私は人の高貴さとつよさを見るのだった。辛くても、自分が持っている今の条件の中で、せいいっぱい生きる。それが死んだ人の願いであるようにすら、私には感じられる。
 パパのいないガブリエルちゃんへ手紙を書いてみよう。それが私の提案だった。クリスマスプレゼントのかわいい熊のぬいぐるみに添えて。模範になる手紙や人を感心させる文章は、教えれば書けるだろう。しかし実感のない文章は、人の心にひびかない。どんなに拙(つたな)くても、その子どもが自分の中からつかんだ言葉を、私は大切にしたいと思っている。しかし現実は、受験のための新しい方法や技術ばかりが教育を装っている。そして「感じる心」や「生きる力」は、それに比例して失われていくようだ。そこに気がついても、立ち止まる人は少ない。テロという悲劇は目に見える。傷ついても克服できることもある。しかし「感じる心」や「生きる力」がない子どもの未来は、テロよりももっと悲劇としてあるのではないだろうか。
 後日書かれた手紙。「もしさびしいと感じたら、ママの二つの瞳をのぞいてください。そこにはきっとあなたの顔に重なって、あなたを愛そうとしたパパの顔が見えるはずです」「父親を殺された君は、テロや犯人を憎むでしょう。しかしできれば憎まないでください。それはお父さんが君を愛したこととは反対のことになるからです」。どの子の思いも、やさしかった。
 それらの手紙は私にとっての最高の「クリスマスプレゼント」になった。

2003年2月1日掲載 <50>  

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