僕だって泣きたい

    大人への道

 辛い魂を抱えて、彼はやって来た。大学の一年生。以前勤めていた高校の卒業生だ。時折、私に電話をかけてくる。「先生元気ですか? 話したいんですけど」。今日の声がいつもと少し違うのが気になった。
 彼には「自分より他の人」を優先する傾向が強くあった。教室でも部室でも、誰か苦しんだり悩んでいる仲間がいないか、いつも気にしていた。だから三八度の熱があっても、けがをしていても、学校を休んで寝てなどいられない。「自分のいない間に何か起こってるんじゃないかと思うと気が気じゃなくて」。彼は笑いながら言ったものだ。こんな態度が身に付いているのは、今の時代にはまるで奇跡だ。子どもだけではなく大人ですら、他人への配慮を欠き、それを何とも思わなくなりつつある現代なのに。そんな彼を見ていると、その背後で彼を育てた「家族の肖像」が、見えてくる。思いやる心の芽は、思いやる家の土に根付く、と思うからだ。
 「父ががんになっちゃったんです。白血病」。コーヒーを飲みながら感情を抑えるように彼は言った。その声には、胸に納めていた思いを言ってしまった後の安ど感があった。「病気になって一番落ち込んでいるのは、猛烈に働いていた父です。自分が死んだら保険がおりるから、って言うんです。そんな弱音を吐く父を見るのは辛い」。そして「一番苦しいのは父で、次が母。それから弟ふたりも悲しい。僕が元気ないと、みんなもっと元気なくなるから、僕は一生懸命元気にしてるんです。でも本当は、僕だって泣きたい」。
 そうか。それでわざわざ東京からここへ来たんだ。安心して泣く場所を求めて。誰でもが、誰かに甘えたい。誰でもが、安心して心を許す処(ところ)を探してる。彼にとってはそんな場所が「家族」だった。その家族の土台が揺れている中で、懸命に自分を支えようとしているのだ。「家族の誰かの骨髄が父のと合うといいな」と微かな希望に思いをかけるように、彼はつぶやいた。ああ、この子もいつの間にか大人になっている。しかもたくましさとやさしさを持った理想の大人に。私は彼がそのように育っていることがうれしかった。それは人を気遣うことから彼が得たものだった。そういうものが人を育てるのだ。生きた通りに、人の顔は刻まれてゆく。
 近ごろ、少年たちによるホームレスへの襲撃が後を絶たない。犯罪を起こした少年たちの奥にある凶暴性のすごさと、罪の意識の稀薄さに私はいつも驚かされる。そしてその感覚の背後に、私は「さび付いた家族の肖像」を見る。心を許したり、思いやったりする場所や時の代わりに、エリートに向かって歩くための場所と時だけを優先してしまった「家族の肖像」を。犯罪行為のただなかで、彼らもまた、「僕にも泣く場所が欲しい」と叫んでいる声が、聞こえるような気がするのだ。

2003年3月22日掲載 <55>  

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