青 空

      居場所のないかなしみ

 澄みきった空。青さの極限。そんな空を見ると、いつも心に一抹の悲しみが起こる。
 四年前のこと。私の勤めていた高校は、底辺校という嫌なレッテルを張られていた。だが当時の校長は、「誰でも育てよう」と、「ゆとり」を基調に、生徒の「個性」を育(はぐく)む姿勢を打ち出した。勉強が苦手な子どもにも、学ぶ場所と時を与えようとしたのだ。私は常々「進学校」だけが意味があるとは考えていなかった。「良い進学」だけを声高に言う教師や親に対して、どこか批判的だった。だからその取り組みが、とてもうれしかった。学力や素行だけで「だめな子ども」と烙印(らくいん)を押されて「見捨てられる」傾向を、苦々しく思っていたからだ。
 最初の学年集会。私は新一年生の学年主任だった。「私たちはみんなを見捨てない」。聞きようによってはどこかごう慢な響きもあるその言葉を、私は使わずにいられなかった。一人も欠けることなく、この子たち全員と共に、三年後には卒業式を迎えたい。そう強く願ったのだ。「一学期の終わりに行われる富士登山には全員で登ろう」とも励ましていた。
 しかし現実は、私の理想をはるかに超えていた。生徒たちの起こすトラブルを通して、私はいかに多くの生徒がどんなに強く家庭や学校、そして社会に反感を持っているかを知った。その憎しみは、どこにも「自分の居場所がない」、そんな思いから沸いてくるようだった。
 いよいよ富士登山。バスを連ねて、夜明けに私たちは出発した。突然、生徒が窓の外を指差しながら叫んだ。見るとオートバイに乗った見覚えのある顔がふたつ。学校をやめた子たちだった。バスの中の生徒たちが明るく喚声をあげた。外の少年たちもそれに反応するように陽気にほほ笑んでいる。私はつーんと悲しさがこみあげるのを感じていた。私が言った「一緒に行こう」の言葉と共に。彼らは私たちのバスを先導するように前を走ったり横に並んだりした。そして知らぬ間に、消えていた。
 翌日の登山はすばらしい快晴だった。青空が私たちを空の彼方(かなた)で祝福しているようだった。その時私は、登山道の傍らの大きな石に座っている少年を見た。彼も退学した生徒の一人だった。私はその子の表情に、「一緒に来たかった」そんな気持ちを読んでいた。いろいろな悲しみがある。だが、その晴れやかな自然の中で生まれた悲しみは、今でも私をくるしくさせる。
 心理学者の河合隼雄に「子どもの宇宙」という本がある。その中で「家出」に言及したところがある。「家を求めての家出」、つまり「子どもが家出に走るのは『本当の家』を求めているからだ」というくだり。居場所を探して家を出る。その心の敷居は、どんなに高いかと私は胸を打たれる。家庭だけではなく、学校も今では子どもの居場所として機能しにくい感がある。
 ぽつんとうずくまるようにしていた少年と青空。その姿は「自分の居場所」を探し続ける「永遠の家出」を私に告げて止(や)まないのだ。

2003年4月19日掲載 <59>  

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