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いつもお腹がいっぱいな子といつもお腹がすいた子2003年・クリスマス会
神さまは、いつの時代もだまっています。イエス様が神の国にもどられてから、二千四十年ほどたちました。神さまとその子どもであるイエスさまは、なぜだまったままなのでしょう。
私たちの住む地球に似たある星に、うつもお腹をへらした子どもと、いつもお腹がいっぱいの子どもがいました。2人の子どもは遠く遠く離れたところに住んでいました。お腹のすいた子どもには父親がいません。兄弟もいませんでした。昔はちゃんといたのに今はいないのでした。さいわいなことにお母さんだけはいました。今日もお母さんは、丘の上の畑にいって、子どもは一人ぽっちです。しかしさびしくはありませんでした。わずかばかりの野菜やくだものをつんで、夕方になるとお母さんは帰ってくるからでした。その家族の台所はいつもさわやかなにおいがしていました。子どもは台所のほうで、ことこと野菜をきる音やぐつぐつ豆がにえる音がしてくると、しあわせな気持ちになるのでした。でもいつもお腹はすいていました。
いつもお腹のいっぱいの子どもには、お父さんもお母さんもいました。かわいい兄弟やふっくらした綿のような白い犬さえいました。みんないそがしいのか、あまり話をしません。でも食べるものはたくさんありました。いつでも、好きなものが食べられました。朝おきるとテーブルの上に、好きなものがならんでいました。お昼になると、おいしいものを、白いぼうしをかぶったおじさんが、はなうたを歌いながらとどけにきます。3時にはフルーツやケーキのおやつ。夕飯は、えいようたっぷりのお料理。
しかし不思議なことに、いつも食べる時は一人なのです。家族のすがたが見えないのです。でもお腹のいっぱいな子は何も感じませんでした。さびしいとも悲しいとも、感じなかったのです。
ある日、そんな二人が夢を見ました。お腹のすいた子がお腹いっぱいの子の夢、そしてお腹がいっぱいの子は、お腹のすいた子の夢をみたのです。 お腹のすいた子は夢の中で、お腹がいっぱいの子に話しかけました。「君をどこかで見たことがある」。するとお腹がいっぱいの子もこたえました。「ぼくも君をどこかで見たな」。お腹のすいた子は、いつかのばんに、つぶれてしまった学校の広場で村のお年寄りが見せてくれた、ちりちり星ふるような映画の中で「いいな」と思ったシーンを思いだしていました。きれいなきれいな学校の、そのあたたかそうな教室で、お腹のいっぱいな子どもが勉強している姿でした。「君はしあわせだな。勉強ができて。ぼくは学校というところへ一度もいったことがない」。その子は言いました。
お腹のいっぱいな子どもも思いだしていました。お腹いっぱい夕食をとった後に、テレビでお腹のすいた子どもを見たことを。あれはてた村の、やせたユーカリの木のそばにある井戸で、その子がいっしょうけんめいに水をくんでいる姿でした。「君がうらやましい。水をくみのってとてもすてきだった。きらきら輝いていたよ。」そっと言ってみました。「水をくむとお母さんが喜ぶから。それしかぼくにはできないのだから」と子どもは夢の中でこたえました。そして、「君はなにもしないでもお腹がいっぱいだし学校にもいける。うらやましいな」と本当にうらやましそうに言いました。お腹がいっぱいの子どもは、言っている言葉の意味がようくつかめませんでした。それはこころの中がお腹のようにいっぱいだと感じていなかったからです。いつもなにかが足りないと感じていたからです。
「いつか君のように、いつもお腹がいっぱいの暮らしがしたいな。だから学校で勉強したいな」。お腹のすいた子どもが言いました。「でもそれが本当にしあわせか分からないよ」とお腹のいっぱいな子は、ふと言ってしまいました。言ってから、「悪かったな」とどこかで感じました。貧しくていつもお腹のすいた子どもの夢を、こわしてしまったという気持ちがしたからです。
二人はしばらく夢の中で話をしていました。するとふたりの心のおくに、小さな星が生まれました。小さい小さい星でした。でもどの星にもまけない輝きがありました。世界中のやさしい輝きが集まったような星でした。耳をすますと、聞いたことのないようなりんとしたいい匂いの音が、聞こえてくるようです。
二人のそんな夢をごらんになっていた神さまとイエスさまが二千四十年ぶりに、言葉のおくりものをしようと思いたちました。それは二人のこころにうまれた星に、名前をつけることでした。
お腹のすいた子どもの星には「希望」、そしてお腹がいっぱいの子どもの星には「思いやり」とつけたのです。その時ふたりは、これからなにをしたらいいか少しわかったような気持ちがしました。
夢からさめた二人のこころのおくで、お互いの星がいつもでも輝いていました。どこの国で生まれても、貧しくても豊かでも、なくしてはいけないものは「希望」と「思いやり」だとわかったからです。
そしていつの日も、神さまはだまっています。また2000年も、だまっているのでしょうか。 お話はこれでおしまいです。さあ、スコーレのみなさん。お手紙を書いてみましょう。
「お腹のすいた子」か「お腹がいっぱいな子」のどちらかに、心をこめてお手紙を書いてみましょう。 [
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