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私の一冊

教育コーディネーター 中西美沙子

内なるものの声聞く
『言葉からの触手 吉本隆明著(河出文庫)』

 人が一冊の書物に出合うのは、もしかしたら人は、一冊の本にも如(し)かない生きものだと決意した時かもしれません。最良の本は、読む人に過酷さを強いるものです。日々、書物は生産され、人の欲望に消化されます。しかし、消化されない本というものがある。そういうものたちだけが、クラシックになるのでは。この本に、そんな手応えを感じるのです。散文詩のような味わいや、色合いの違った言葉の断片。読む人に同化や拒否を強制しない、開かれた、そしてさわやかな読後感を与える本です。

  「いまでもわたしたちは、どこかにあり、どんなひとがそこにいて、どんなメカニズムで動いているのかわからない架空の装置から命令され、指導され、その声のままによかれあしかれ従属している部分と、そんな声など聞こえもしないし、まったく不関心だという部分とに分類される」

  私が強く惹(ひ)かれたこの本の一節です。吉本隆明という人は、詩人や作家そして思想家などの文化人や、さまざまな党派がもつ権威や理念の「うさんくささ」をかぎ取って批判してきました。私は、この本を読みながら、彼が自分の中にも生まれる「うさんくささ」をかぎ取って批判してきました。私は、この本を読みながら、彼が自分の中にも生まれる「うさんくささ」を否定せずに、丁寧につき合っている姿勢を感じます。その「うさんくさいもの」を隠さずに見つめ、考えの基底にしているとすら思えるのです。

  他にも私が好きな章があります。木こりは風の音で木の病を知る、そのことから
彼が思考を触発されるシーンです。「見えないものを見る」。高度消費時代を生きる私たちが、失いつつある感覚。声高に理想を語るのではなく、静かに、自らの内なるものからの声を聞きながら生きることを、「言葉からの触手」は、私にささやきます。

▼あと2冊
「聖書」 (新共同訳、日本聖書協会)
「銀河鉄道の夜」 (宮沢賢治著 新潮文庫)

中日新聞「私の一冊」
2004年4月29日掲載

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