マン・レイ「天文台の時間――愛人たち」 顔を隠す。その行為は、「恥ずかしい」という感情の一つの表れであろう。マスクをつけると人は、どこか不安になる。それは隠すことが反対に、「見られている」という感覚を呼び覚ますからだろうか。「見られること」は、羞恥心を生み「不安」を広げる。 マン・レイの作品を見ると、そのような感覚におそわれる。見る人に「不安」を強く印象づけるのだ。それは「不安」が彼の友であり、鑑賞者に贈る鋭いメッセージだからだろう。 マン・レイの生きた20世紀初頭は、変化と戦争の時であった。絵画の変革と機械産業の興隆。その大きな波のうねりの中で誰もが、人知れず「不安」を抱えていた。彼は写真や映画などの新しい表現を積極的に取り入れ、時代が持つ「不安」を巧みに表わしていった。 「不安」は、決してマイナーな感覚ではない。今と未来とを掴み取る感覚の鮮やかな姿勢であるのだ。マン・レイのウイットに満ちた「不安」は、私に、そう告げる。
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