絵を見る距離、というものがある。その距離は、画家が作品を仕上げるときに眺める距離に、等しい。ゴッホの麦畑は、彼の自然に対する距離の絶対性そのものだ。私たちは絵画を鑑賞するとき、作品に近づきまた遠ざかりしながら、見る位置を確かめる。その行為は、描いた人の目に近づこうとする無意識でもある。
ポロックの作品を見ると、しばし戸惑うことがある。それは極度に作品に近づくことを要請するものがあるからだ。眺めるのではなく、作品の内部にまで視線を誘うような情動。それは、「見ること」と「見られるもの」の距離の消失である。抽象化された形象が纏わりつく独創的な世界が、ポロックなのだ。
ポロックは、アルコール依存症であった。酔った彼を載せた車は、街路樹に衝突し、大破した。かくしてポロックも、「物」になったのだ。人の物語と、残された作品は違う。だが彼の作品を見ると、彼の抱えていた情念の物質性を感じてならない。
浜松百撰 2010年12月号
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