便利さ追求で自然失う危険小島有貴(中3) 邪魔なものは排除すればいい。姫松を切るべきだと思っている人の極論はそうではないか。もっともっと考えていけば、いろいろなことが分かってくるはずである。
落ち葉を片づけるのは大変な作業であることも分かる。近くに住んでみなければ分からないことも多い。大変なのは理解できるけど、安易に「切る」という結論を出しては良くない。
自然のある都市はとてもすてきだと思う。自然には機会をはるかに越える力がある。どんなにリアルな森の映像が一面に広がっても。α波が出るような設備でも、そこに本物の自然があるかないかで人間の気持ちは大きく変化する。文明は自然から作り出された物であり、人もまた自然である。お互いがあってこそ生きていくことのできる私たちなのだから、大切にすべきである。
もし木を切ってしまったら「人間にとっての便利さ」という木は生えるが「大切な思い出」という木が枯れてしまうかもしれない。そして人々の心には「過ぎ去りし思い出」という木が育ってしまうと思う。400年も街道を見守ってきてくれた松を切ることは、その歴史に終止符を打つことになりかねない。便利になることは素晴らしいが、失う物のことを考えなければならない。
2004年10月15日 |