戦争の記憶を忘れてならぬ田中健斗(高校生17) 記憶は、いつか忘れ去られる。それが、かってない残酷な出来事や悲惨な戦争の記憶であってもだ。しかし忘れるのが人間であるなら、記憶が風化することを押し止めるのも人間であってほしい。
一月にアウシュビッツ六十周年の記念式典があった。僕たち高校生の仲間にも、アウシュビッツで起きたことを知らない者がいる。最近イギリスのヘンリー王子が、あるパーティーにナチスの軍服姿で主席したため世界中に波紋が広がった。アウシュビッツ強制収容所の解放六十周年記念の時に、このような行動を取るのはなぜだろう。
記憶の風化は、平和な時が流れれば流れるほど強まっていく。残酷な時を生きてきていない僕らには、「理解せよ」という言葉は酷にも思える。ヘンリー王子の例がそうだろう。しかし、ユダヤ人迫害と強制収容所の負の記憶を忘れていいものだろうか。
人はいつの時も平和と自由を語る。しかし、負の記憶を積極的に語ることを忘れてはいないか。僕は現代の人間は、平和の中で徐々に堕落していっていると感じる。
日本の教育では「ゆとり」を掲げていろいろな試みをしている。しかし、負の記憶を学習することに力を入れていない。戦争は、負の記憶の風化から始まる。人間は忘れやすい生きものだ。そのことを知っていても、記憶の風化は進んでいく。
2005年3月15日 |