目の輝きを追って山口沙織(高3) 沙織へ。あなたはどこへ向かって走っているの。能天気な顔をして。たまには立ち止まるものよ。二十歳になったあなたはきっと、夢だった社会福祉士目指して頑張っているね。夢は叶いそう?希望を現実にするには、少し苦い経験もいいのよ。逃げないで。心の耳をすまして外なる声を聞いている?沙織っていう名は、小さなものたちを織ると言う意味が込められている。二十歳になったあなたの心の織物には、どんな模様が描かれているかしら。 私は十八歳。少しだけど、大人になることに恐れがある。今の自分を振り返ると、正直自分が何だったのか、どうしたいのか不安だ。 あれは小学校四年生の時だった。私達は学校の近くの老人施設を訪れた。お年寄りと共に会話やゲームを楽しんだ。たったそれだけのことなのに、「あなた達が来てくれると、お年寄りの目の輝きが違うのよ」と言う職員の言葉が、私の中に残った。あの日の、お年寄り達の目の光が何だったかは知らない。「目の輝きが違う」。この言葉が将来の仕事へ繋がったのだ。 老人施設へ行った時、私は親近感のようなものを感じた。しかし、周りの友達は、浮かない顔をしている。私はなんだか怖い感じがした。友達は老人と生活をしたことがないのだろうか。お年寄りを奇妙な生きもののように感じていたのだろうか。輪投げをし始めると、お年寄り達はどちらが子供か分らないほどはしゃいだ。車椅子に乗った老人が、椅子から立ち上がるようにして輪を投げた。何回も枠から外れ、ようやく入った時には、みんな飛び上がるようにして喜んだ。友達の顔からは、さっきまでの表情がいつの間にか消えていた。この経験が、社会福祉士になりたいと私が考えるようになったきっかけだった。ちっぽけな子供の私でも、求めてくれる人達がいる。「目の輝き」の向こうに「満たされない人達」がいることを理解したのは、ずっと後になるが。 沙織へ。あなたが自分の意思で、ボランティアや福祉の講座に参加したのはなぜ? あれは、中学二年の冬だった。脳性麻痺児のせいちゃんとの出会いが、私のボランティアへの思いを変えた。最初の出会いの日、せいちゃんに私は本を読んであげた。男の子が憧れるヒーローものの本だった。読んでいるとせいちゃんの目の輝きが変わった。時折、嬉しそうにヒーローの絵に手をかざす。「せいちゃん、このヒーローが好きなの?」と聞くと、やわらかく私を包み込むような笑顔で「あい」と答える。また違う時は身構えるようにかざした手を引っ込め、強い声で「あん」と答える。「あい」や「あん」という返事に、私の体が不思議な反応をした。今まで感じたことのない安堵感だった。 リハビリを始めた当初、せいちゃんは脳の命令と体の動きが一致しないのか「あん」と怒り、泣き出してしまうことも度々あった。「いち、に、いち、に」。掛け声をかけながら、はいはいの動きを習得するため、四人がかりで手足を動かす補助をする。そのうちに、せいちゃんの体の力も抜け、「いち、に、いち、に」の掛け声もテンポよくなっていく。私がせいちゃんの「あい」や「あん」に感じたのは、生きている実感だったのかもしれない。健常であることの本当の意味を、そのかけがえのなさを、私達は忘れていると強く感じたのだ。 せいちゃんは手足を補助されながらテーブルの上で、はいはいをしていた。自力で、すべり台のてっぺんからはいはいで降りてくる。そんなリハビリを彼は毎日繰り返していた。ただただその行為の繰り返しをしている。そうして、すべり台の傾斜を緩やかにしても、自分の力で降りることができるようになる。僅かばかりの彼の変化が、私にはとても大きな変化だと思えた。私はボランティアに参加する時いつも、「自分に何ができるだろうか」と考えていた。 その問いかけは、私を不安にした。予備知識の無さや相手の気持ちを理解することができるだろうかという思いの、それは裏返しだった。しかし、せいちゃんを見ていて、私は「自分にできること」なんて、考えるのはよそうと思った。 よくボランティアの大切なあり方として「相手と同じ目線、立場で接する」と言われる。が、これほど難しいものはないと私は思う。経験を積み重ねながら、私は自分自身と向かい合う。そして徐々に、「人のために」から、「相手から得るもの」へと考えが変わっていった。 すると別な視野が広がった。「社会」と「障害者」との間にある壁を、強く感じるようになったのだ。障害児も健常な子供も、共に未来を生きる権利がある。ユニバーサルデザインやバリアフリーなどと語られても、現実は障害者と健常者が寄り添っているとは思えない。このように社会が見えるようになったのは、「自分にできること」という考えをやめた時からだった。もし社会に問題があるとしたら、それは障害者から得るものがあるという実感を、私達が持たない、あるいは持てないからだ。 沙織へ。「社会」の不備や問題を言うより、もっと大切なものがあるのでは。あなたが自分の心の中に点したささやかな火は、誰が手助けしたか考えること。二十歳になったあなたならちゃんと分っているでしょう。 機会があるごとに、母はボランティア講座の募集を見つけてきては勧めてくれた。 「私にボランティアを勧めてくれたのはなぜ?」。私は母に問う。すると母は微笑んでいるだけで答えない。でも、私には分かることがあった。 私の家族は祖母、父、母、弟と私の五人家族だ。小学校の時、一緒に暮らしていた祖父を亡くした。祖父はよく私をドライブに連れ出した。ハンドルを握りながら楽しそうに歌をうたった。「あいたさ見たさに こわさを忘れ 暗い夜道をただ一人 あいに来たのに なぜ出てあわぬ 僕の呼ぶ声わすれたか」。その声が、今でも聞こえる。庭のひまわりを描いている私の傍らにきて、祖父もクレヨンで絵を描いた。そんな日々がふっと、なくなってしまったのだ。私は、死を恐れた。その日を境に、私は内にこもるようになっていった。 老人施設に行ったのは、その頃だ。老人達といると私は祖父を感じた。その思いがボランティアへの原点だったのだろう。それでも私のマイナス思考は、中学生まで続いた。自信がなく他人を恐れていたのだ。母はそんな私を静かに見ていたのかも知れない。 「障害者施設のボランティアがあるけど行ってみる?」。母は積極的に外へと私を向かわせた。今思うと、「どんな逆境でも生きている人達がいる」と、私に伝えたかったのだと分る。 そんな時の私を支えてくれたのが脳性麻痺児のせいちゃんだった。「あい」「あん」。そのシンプルな言葉に、私は多くの感情の束を見ていた。それは「在るがまま生きる」ということだった。それから様々なボランティアに行くうち、私の思考はプラスへと変化していった。障害者の多くは、嬉しいことがあるとその喜びを体全体で表現する。喜びがそこに固まりになって笑っている。逆に不機嫌な時には、つんとしてこちらの言うことには耳を貸そうともしない。「これでいいのだ」。私はやっと厚く覆われた殻を破ることができた。自分の思ったことを素直に外に出し、表現すること。私の中で、なにかがふっきれた。 沙織へ。二十歳になったあなたは大人としてきっと、目の前に広がる世界へ、自信を持って踏み出すだろう。せいちゃんから得たものや家族から知った絆の重さを、心の織物にして。「あい」。「あん」。せいちゃんの声が、その時も聞こえているだろう。
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