ペンギンとアンモナイト南平 眞理(中3) 僕にはシンボルマークがある。美術の時間に作った、ペンギンの上にアンモナイトが乗っている絵だ。苗字の「南平」から連想する生き物が、ペンギン。南極に住んでいるからだ。アンモナイトをペンギンの頭の上に乗せたのは、僕の一番の趣味が化石集めだからだ。 自作のエコ手帳の表紙に、そのシンボルマークはある。この手帳を思いついたのは、「自分がどれだけ食糧や生産物を消費しているか」と、「それらをどのように処理しているか」を知りたいと考えるようになったからだ。 ペンギンについて興味ある話を聞いた。ペンギンは昔、世界中にいた。南半球だけでなく北半球にも。しかしその体から油を採るために、多くのペンギンが捕獲された。だから今では南半球の一部にしか住んでいない。 アンモナイトとペンギンの滅び方は、大きく違っている。アンモナイトは自然環境の変化によって絶滅し、ペンギンは人の手によって住む場所を追われた。 人間は七百万年間、動植物を獲り続けた。自然の恩恵によって文明を生み出し進歩したのだ。だがその過程で、人は自身が生態系の一部である事を忘れてしまったのだろうか。 近年、「危機感」をもって、エコロジーや生物多様性についての話を聞く。僕はこの「危機感」に疑問を感じている。それは、自然や生態系を考えることだけで、「危機」が抑えられるのだろうかという疑問だ。人間は地球の歴史、生命の歴史から見れば、限りなく短い時を生きてきた。進化の偶然によって、高等生物といわれる生命体になった。だが冷静に考えれば、人間は膨大な生命の中の一種類に過ぎないのだ。どの生命とも、対等なのだ。 「生命への想像力」を僕たちが持たない限り、人間もいつか絶滅危惧種になるだろう。その想像力は、地球に存在する命が今ここにある奇跡を喜ぶ気持ちから、生まれるだろう。 初めてアンモナイトの大きな殻を見た時、触ってみたいと強く感じた。アンモナイトを僕が美しく感じるのは、生命の歴史の長さを見るからだろうか。アンモナイトは、人の力によって絶滅したのではない。その命の終りかたは、自然である。 ダーウィンは、進化には方向性が無いと言った。それは、今の世界は偶然が幾重にも重なってできたものだからだ。これはとても神秘的なことだ。 僕は、手塚治虫が大好きだ。「マグマ大使」の最後のところで、負けた侵略者のゴアがこんなせりふを言う。「あの、宝石のような美しい地球を忘れることができるものか!断じて俺のものにしてやるぞ。いまにみておれ!」。 外から見ると、地球は限りなく美しい。その地球上には、無数のいのちの繋がりがある。その一部に、人は存在しているのだ。
イオン主催 2009年 「ドイツに学ぶエコライフ 作文コンクール」 入選作品
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