地図と、プラタナス加藤静香(高2) 人々が、見慣れた街角を足早に通り過ぎて行く。秋の気配を帯びた夕焼けが、歩道や店のウインドーを染めている。だれも、その美しい時に、足を止めない。私は、一本の木の方に目を向ける。老いたプラタナスの木は、毅然とした姿で私を見つめ返す。そんな時、私は街角が人々に語りかけているように感じる。街角が、生きもののように思えるのだ。 私の住む街、静岡県浜松市には、一本のプラタナスの木がある。第二次世界大戦中の浜松大空襲での戦火を生き延びた木だ。枯死寸前であった木は、近隣在住の多くの市民の手によって、蘇った。現在、『市民の木』と命名され、まちのシンボルとして駅前に植えられている。暑い日には汗をぬぐう人たちが、手を広げたプラタナスの木の下に集う。 私は、バスで通学している。その朝も、ひとりのおばあさんが木の下に腰を掛けていた。昨日も、おとといも。何日もその姿を見た。朝の喧騒の中で、そのおばあさんだけが、石のようにプラタナスの木に抱かれていた。私の心が騒いだ。そのおばあさんの目は、私たちが行き交う姿を見ているのではなく、「遠い世界」を見ているように静かだった。 「あのう、毎日ここで何をしているのですか」。 私は決心して、おばあさんに話しかけようとした。だが、その言葉はおばあさんに届くことは無かった。その日の朝に雨が降った。その日以来、おばあさんはプラタナスの木の下へ腰を掛けに来なくなってしまった。 人には、自分を支えるものとして、家族や友人の他に、何があるのだろう。私は時々考える。「忘れられない人」と「忘れられない街角」が浮かぶ。「街角」は時代によって変わってゆく。だが、人が生きていた証しが、「街」や「街角」にあるように思える。
彼女もまた、街に、「生きていた証」を求めていたのかも知れない。戦争で焼け野原になった浜松。街の思い出を知っているプラタナスの木の下で、過ぎ去った時を拾い集めていたと思えた。 「あのおばあさんには、心を託す街があった」と、私は自己納得する。少女の頃に駆け回った路地や、縁日の甘い匂い、桜並木を学校へと向かう彼女の姿が浮かんでくる。戻らない過去を、誰かと感じるために、その場所に来ていたのかもしれない。彼女が持つ街角は、私の持つ街角よりもずっと重いものなのだ。 私は急に、古い浜松の地図を見たくなった。 戦前の地図を復活させているという新聞記事を思い出した。「浜松まちづくりセンター」に行き、偶然、製作者の小西貴さんに出会うことができた。地図には、今は無くなった、水のみ場や公衆便所といった、人々が集まる所や遊び場など、生活に密着した場所が載せられている。小さな文字で番地、住民の名前、通りの名前を手書きで記し、当時のままを文字にしていた。 「普通の地図と同じものを作るのではないんです。地図を見て、人々が遊んだ場所や思い出を蘇らせることができるのが、この地図です。皆、忘れた思い出を、地図を指差しながら語り合うのですよ」。 小西さんの地図は、昔の生活を人々が思い出すきっかけを生む。 「秣(まぐさ)通り」。面白い通りを見つけた。馬の糞が落ちていたところから「馬糞通り」とも呼ばれていている。戦後の浜松では物の運搬の手段が馬だったそうだ。 「馬が重い荷物を背負っていてさぁ、馬糞をおとしていくんだよね。毎日臭くって。ちょうど新しい靴を買ってもらったばかりの日に、馬糞を踏んだときは、悲しいのなんのって。だって、やっと買ってもらった靴だよ。まいっちゃうんだよなぁ」。 父が思い出話をしてくれた。そこに住む人たちの声や音が聞こえてくる街、これが昔の浜松なのだ。夕方になると、魚屋さんの御主人が家まで御用聞きに来たと言う。「今日は何にしましょうか」と。分けてもらったお魚をいただく夕食。小西さんの地図を見ると、そんな風景が目に浮かぶのだ。物が行き交う時には必ず、人の声と顔が交わっていた。 小西さんがこの地図を作ったきっかけは、後世にその地図を残すためだけではないと思う。「ここ、私の住んでいたところだ」と、地図を指差しながら言う声が、地図を大きくしていった。 地図の中にプラタナスの木を見つけた。戦前からあるデパートの傍らに、三本植わっていた。そこからはプラタナスの梢に風が渡る音が聞こえてくるようだった。 「街を心に刻む」。地図を指で辿る小西さんの穏やかな顔が浮かぶ。彼が、今は無い街に拘るのは何だろうか。もしかしたら、彼は地図の中に生きていた人間の記憶を、掘り起こしているのでは、と思った。「懐かしい」気持ちだけではなく、そこで生きて死んだ人たちの声を聴いているように思える。 浜松市は現在、市街地が空洞化している。郊外に大きなショッピングモールがいくつもできたこと。モータリゼーションの影響などで、郊外へ買い物に行く人が増えたこと。そして街から人が去り、人の息遣いが隠れてしまったように閑散としてきた。「人がいない街」となっただけでなく、店とお客さんとの間にあった「信頼」も、そこにはもう無い。 「フィンランドにいこう」。 群ようこさんの「かもめ食堂」を読んだとき、私は急にフィンランドへ行くことを決めた。流行にとらわれないお店を訪れる人々に、私も「会いたい」と思った。「素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえるようなお店を作りたい」。主人公のサチエは、表面的なことだけで喜んでいるお客を情けないと感じていた。 そして私は、この夏、北欧で一か月を過ごした。フィンランドの夏は、短くて、寒い。 コーヒーを片手にしている人たちの足元に、かもめが一羽、二羽と寄ってくる。人々の顔も、それを映すように穏やかに見えた。風が肩を横切る音。黒い雨雲が覆う、森や町に降る雨の音。それらが音楽のように響いてきたのは、なぜだろう。 日本の家屋には塀があるが、フィンランドの家には塀がない。そこにはお互いを信頼する精神があるように思えた。小西さんの地図にあった昔の町並みに似ている。 「テルヴェ」と道行く人たちがあいさつを交わすフィンランドの街。その街は、住む人たちの心を映すように静かな佇まいの中にあった。日本のようなけばけばしい看板は無く、建物や商店が、お互いを気遣っているように見えた。街の風景は、人が作っているのだ、という気持ちが強く起こった。そして日本の町の無秩序なあり方に疑問が湧いた。 日本は「消費」のためには何でもする国になっている。「看板」や「宣伝の音」が街を支配して、刺激と喧騒の中を人々は行き来している。心を託す街は確実に減っている。 今日、私は小西さんの地図を見に行くだろう。地図の中に流れる人の声を聴くために。希望の声を聴きに。 プラタナスの前で、私は立ち止まる。そしてゆっくりと街を振り返る。プラタナスの木は、葉をほんの少しだけつけている。春の芽吹きと、夏の日差しに反射する葉の緑が思い出された。私は、その時この街角が、自分を活かしていたのだ、と感じた。 「街は活きている」。 街が人を育むのだと、私は思う。私たちは、そのことを忘れかけている。「消費生活」を追求するだけの街は、人と人との心を結ぶことができない。 私は、希望の地図を、心に描く。その地図には、人の笑いや悲しみの声が響く。
産経新聞社 主催 第41回 産経スカラシップ 「高校生文化大賞」 文部科学大臣賞受賞作品
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