見えないものに向かって
小林萌々子(高1)
言葉の中の偽り
ホメロスの『オデッセイア』に奇妙な場面があります。トロイ戦争の帰途オデッセウスたちは行き先を失い漂流します。辿りついたのが「蓮の実を食べる人たち(ロータスイーター)」の住むところでした。その蓮の実を食べると、人は過去を忘れて幸福になります。しかしなぜかオデッセウスはその快楽を選ばず、巧妙に蓮の実を食べないようにしたのです。人は「パラダイス」を求めようとします。ですがオデッセウスが、パラダイスを疑い蓮の実を食べなかったのは、そこには自分が求めているものはない、と感じたからでしょうか。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』の中に「信の世界に偽作多し、疑ひの世界に真理多し」があります。この言葉をテーマに論文を書き始めました。
私は「信の世界」を「疑う」という福沢の考えに接したとき、戸惑いを感じました。「信の中に虚偽が含まれている」とすると本当の「信」とは何か、混乱するのです。「信」と「偽」が入れ子状態になっていることの不可解さが、どうしても私の中に生まれるのです。
私は私と関わるすべてのものや出来事を、未熟ですが、判断して行動します。でもそのことに疑いを持たないで、「誰かが作った世界」に頼ってしまいがちです。
小説を無性に読みたくなることがあります。ですが本を読みたいという欲望が起こるのに読んで行くと、なぜかその本の多さと比例するように不安が広がるのです。
本を読むことは楽しいことですが、読むという面白さだけではない、痛みをともなった傷のような感じがします。しかしその感覚を剥き出しにすることが怖いという思いが起こります。
『学問のすゝめ』は小説ではありませんが、学ぶことで起こる「信」と「疑い」がとても複雑にあることを例示で表しています。「信」と「疑い」が蝶番のようになっていることを示しているのです。私は「信」は「真理」で正しいことであると漠然と考えていました。
「相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、その人の言を遠方より伝え聞きて、少しく我意に叶わざるものあれば、これを忌み嫌うの念を起しこれを悪んでその実に過ぐること多し」。この言葉を読んだとき、私もまたこのように本を読んでいたのかとはっとさせられました。
私が小説を読むとき幽かに感ずるあの不安は、そこにあったのかも知れません。最近私はバージニアウルフやディケンズ、漱石の『心』と芥川の『西方の人』を続けて読みました。現代小説よりも古い時代の本を読む方が、なぜか心が落ち着くからです。
福沢は文明や文化、人のあり方を啓発してきました。福沢のテキストを読みながら、その考えを自分のものにするには、読むことだけでは理解できないと思えるようになりました。書物を読むという行為から生まれるものは、読み解くことと、その文体が持っている特性を掴むことではないかと。
福沢の文章には、自明的なものと通俗的と思われるものによって構成された独特の文体があります。福沢は、1つのことを表すのに、多くの類似した用例を用いるのです。例えば、「親鸞」を西洋の宗教家、「ルター」を日本の宗教家としたとき、日本の西洋かぶれの先生方は、「ルター」を批判し、「親鸞」を褒め称えるのだろうと、福沢はいいました。
ここには、読む人にショックを与えようとする、彼独特の方法があります。また誰もが知っている、忠臣蔵、楠木正成、大奥の女性たち、今川義元と信長などの人物や出来事を使っています。
この表現の仕方に感じるものは、襞です。平明な文章を読むと、躓くことなく「理解できた」というふうになりがちです。福沢の文章には、それを許さないところがあります。
『学問のすゝめ』のような思想書や小説は、突きつめれば人が何を成すかでしょう。福沢の書物にあるものは「文明への意志」であり「複雑に折りたたんだ襞を作ること」だと思えます。漱石の『心』などを読んで、不安や焦燥を感じるのは、文学の中に「折りたたまれた襞」を理解できなかったからだと思えます。福沢の言葉や優れた文学も「平明な一枚の紙」として読むならば、本の面白さや得るものは少ないのではないでしょうか。
『学問のすゝめ』や『文明論之概略』という本は、簡単に言えば人間の可能性を広げるものであると感じます。その可能性を啓くには、私が真実と思っていることを「疑う」姿勢が必要だと思います。
『学問のすゝめ』を読んでいて、それと重なる文章が浮かんできました。「本は読むことを待っていない。読むという意志があって初めて本は開かれる」。そんな文章でした。福沢の表現の方法にも、「本は読むことを待っていない」と言う感覚があります。その感覚の中にあるものが「疑ひの世界に真理多し」という思いであったと考えます。
見えることと見えないこと
モーリス・メルロ=ポンティの『セザンヌの疑い』という文の中にこんな一説があります。「セザンヌは一枚の静物画を描くにも百回もキャンパスにむかわなければならなかった」。セザンヌは対象に近づこうとすることで作品をつくっていきました。それでも彼にとって理想どおりになったことは一度もなかったといいます。全ての作品は試作に過ぎなかったのだと。
真理というものもまた、近づこうとも触れられない存在です。メルロ=ポンティの言葉を借りるのなら、真理は「可逆性」の中にあるといえます。「可逆性」のたとえのひとつが、リヴァーシブルの手袋です。手袋の裏側は、指先に触れられていて、表は無の世界に存在しています。裏返してしまえば今まで何もなかった空間に手袋が存在するようになる、ということです。
「否定的なものが真に存在するただ1つの『場』は襞であり、つまり内と外とがたがいに密着しているところ、裏返し点である」。手袋が反転するとき、世界は大きく変化します。しかし手袋が反転されたからといって、そこに真実があるとは限りません。裏返すという行為そのものは真の始まりに過ぎず、そこで途絶えてしまうかもしれないのです。それでも真理を追うためには、触れられない世界を追い続ける必要があります。ですから真理を追うひとは、N極とN極の磁石が決して引きあわないもどかしさを抱えて、生きてゆかなければなりません。
福沢もまた、もどかしさの中で真理を追って行きたいと考えたのでしょうか。
試験勉強をしようと机に向かっているとき、自分は何のために勉強しているのだろうと考えてしまうことがあります。そのとき、私は机の右の引き出しを開けて、四年目のつきあいになる日記帳を開きます。あるいは本棚の前に座り込んで、ぼうっと本をめくったり並べ替えたりします。なぜなら言葉に触れている間は、そのどこかに真理がみえるような気がするからです。
「疑念」は日常のふとした瞬間の中で、何かに閉じ込められているのではないかという実感として浮かんできます。しかし私がそれを突き詰めようとしないのは、ただ面倒だからです。私は、物事を信じ込んで時代に流されていくことの気楽さを知っています。また、現代には「疑念」を持つことを悪しきこととする風潮があるようです。「KY(空気が読めない)」という言葉は、どこかそれを象徴しています。
福沢の『文明論之概略』に「惑溺」という語彙が多く見られます。「疑う」が「真理に至る世界」であるなら「惑溺」は、疑うことを止めて自分の考えや他人の言葉を丸呑みすることです。「惑溺」は、ある意味で誰もがはまってしまう世界でもあると考えます。『オデッセイア』のロータスイーターのように「惑溺」が、心地よいものになることの方が多いのではないでしょうか。これは、正しいと思うことを疑うのはとても力のいることだからです。
失礼な例えになってしまいますが、福沢は、マグロやかつおのように死ぬまで泳ぎ続ける姿と似ています。泳ぎ続けることは、文明へのあり方を問い続けることと似ています。福沢の「惑溺への戒め」は、そこにあるようです。
信の世界に疑いを持って真理に至っても、その真理はすぐに惑溺となって心の目を曇らせます。『学問のすゝめ』の文体が、私に指し示すのはそこではないでしょうか。『学問のすゝめ』十五編は「昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり」という言葉で締めくくられています。今まで、信の世界を逃れてまで真理を追う行動を、私はどこか鬱屈とした気分で見つめていました。しかし、勉めるべからざるなり、というところでその思いが少し変化したのです。書くことと論ずることは、人の心を救う媒体だと思います。それは思想や文学の中に必ず、一人の人間の本質が見えるためです。すると、真理を追いかけることは自分を追いかけることなのではないかと考えられます。
真と偽と芸術と
江戸を生きた浄瑠璃作家、近松門左衛門はこう考えました。「文学はよくよく理詰めの事実らしい作品で無ければならないという論はもっとものようだが、芸というものの真実の行き方を知らぬ説である。芸というものは、虚と実との皮膜の間にあるものだ。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず。この間になぐさみがあるものだ」と。これを『虚実皮膜論』というそうです。
近松の浄瑠璃本を読むと、そこには平凡な商人の生活が描かれています。ある解説には、本当に起こった事件を扱って本を書いたとありました。それはちょうど今の週刊誌が事件のネタを使っているのと似ているところがあります。近松の大きなテーマは「心中物」です。「人殺し」を素材にした『女殺し油地獄』は映画にもなりました。今でもありそうな出来事を近松は好んで浄瑠璃本にしています。
心中も殺人も、人の弱さによって起こると思えます。その弱さを近松は「虚」と「実」を上手く皮膜のようにして描きました。庶民が近松の浄瑠璃に惹かれたのは、人の弱さを肯定したからでしょうか。
近松の生きた時代の庶民は、「逃れられない柵の中」にある人間としての自由を求めていたと考えます。近松は戯曲を通して、庶民の封建制へのアンチテーゼを描いたのではないでしょうか。
こういった近松の考え方と、福沢が真実のために疑いの姿勢をとり続けたこととは、まったく異なったもののように感じます。ですが、どこか一致するところがあるとも思えるのです。
福沢は、『文明論之概略』の中で「人民の気風」という言葉を使って大衆の性質について述べています。人民の気風とは、一人ひとりが優れた人間であっても、集まれば愚かなことをするものも出てくるということです。福沢の追い求め続けた文明社会において、そういった大衆の精神は、変えていかなければならないものでした。集団の中に自分を埋めてしまわず、独立した存在でなければ、国家は変われども文明化にはならないと。
私は近松の『虚実皮膜論』を読みながら、福沢がいう「人民の気風」の上質なところが江戸の庶民にもあったように思えました。福沢は「門閥は親の敵」というほど封建制を憎みました。しかし武士的な意識も幽かにあったと思えます。福沢が近松の本を読んだかどうか分かりません。庶民が持っている力を近松が描いたことと『学問のすゝめ』は、どこか似ていると思えてなりません。
近松の作品に、庶民は拍手喝采を送りました。そのことを通して感じるのは、庶民のエネルギーとは、自分たちが生きている時代への疑念だったのではないかということです。封建制度の中で、皮肉なことに庶民は何かに抗って生きることを渇望していたのだと思えます。しかし江戸の庶民は、権力に抑制されていたために、疑念を意見として形にする方法がありませんでした。
福沢は「人民の気風」という言葉を使いますが、それはどこか否定的なイメージを持って使われます。しかし、否定的に断定していることは、可逆性の中にあるということだとも考えます。「人民の気風」が肯定的なもの、庶民のエネルギーに反転する可能性を含むのではないかと思えるからです。江戸時代は枠に囲まれていることが、目に見える形で存在していました。しかし文明化、民主化していく中ではその枠が目に見えにくいのです。その中で自分が閉じ込められているのだという感覚を突き詰めていくことが、「疑ひの中に真理多し」ということであると思えます。
ネットの中に生きることを疑う
私は毎日スマホを使います。以前友人から、「遊んでるなう」というメッセージが届きました。4人くらいが集まってそれぞれのスマホを見ている写真が添付されていました。それは違和感のある光景でした。私たちが機械を通してしか、コミュニケーションできない社会がすぐそばまで来ているように感じられました。私たちはなぜ画面に執着するのでしょうか。
スマホの画面をしばらく見つめた後、ふと電源を切ってみると、思い知らされるように空虚さを感じることがあります。本を読んだ後に、言葉が身体の中に入ってくる感覚と反対のことが、そこでは起きるのです。ネットの世界に入るとき、まるで固まった絵の具が水の中に解けていくように、自己が拡散していく感覚を覚えます。アナログの中ではひとつの固形だった自己の存在が薄まってゆくのです。現代には、こうして身体の全てを溶かしたまま、自分が自分であることの意味を、忘れかけている人たちがいるのかもしれません。私たちは情報に「惑溺」しているのだと思われるのです。
万葉集は、日本のことを「言霊の幸ふ国」と表しています。私たちの心の中には、古くから言葉を慈しむ思いがありました。現代社会では確実に、人から言葉が離れています。匿名社会の中に身を置くことは、言葉の重みや責任から解放されることでした。重みを失った言葉たちは次第に嘘を含むようになります。そのためでしょうか。ネットの世界は虚偽を含みやすい傾向にあるようです。ネットの世界で「生きた人間」であるためには、その情報量や見えない世界に溶かされずに生きる必要があります。そして、自分の言葉を持つことは、福沢の言葉でいう「一身独立して」と重なります。
福沢は、『文明論之概略』の中で、「唯世に多き者は、智愚の中間に居て世間と相移り、罪もなく功もなく、互ひに相雷同して一生を終る者なり」と述べています。このことは現代も変わりません。ネットの世界の中には、匿名であるのを良いことに、軽々と極論を述べる人たちがいます。自分の意志を持つよりは、その間で特に持論を持たずに生きるほうが安全と感じているのでしょう。福沢の提唱する「意見を持ちつつ、流動性のある自己」でもなく、「ひとつの意見を信じ、それに固執してしまう生き方」でもないありようです。人間にはもともと、やってくる得体の知れないものに対して、自分を閉じてしまう傾向があるようです。しかしそんな私たちの世代のあり方は、知ろうとすることから逃げてしまうということでもあります。
多数を疑う
先日、こんなニュースを見ました。FacebookやTwitter, You Tubeなどの評価を捏造する工場があるというものでした。私たちはこれらの媒体を通して、情報に対して評価を付けることができます。情報は今や、世界の主要なビジネスです。例えば、商品に対する評価が高ければ、それは人の購買意欲に繋がります。このニュースは、現在の功利主義的思想が、いかにもろいかを伝えていました。
多数であることは、それだけでその規模が真実よりも大きくなってしまいがちです。『文明論之概略』の中で福沢は、「僅かに画線の上に出るものあれば、則ちこれを異端妄説と称し、強いて画線の内に引入れて天下の議論を一直線の如くならしめんとす」と述べています。福沢は、大衆の生み出す膨れ上がった空虚な多数を痛烈に批判していました。それでも私たちは、情報社会の中で、空虚な多数に無意識のうちに頼っています。
福沢の意識はcivilizeし続けることに向けられていました。福沢の言葉には合理的に真理に近づこうとする姿勢が見られます。しかし同時に、福沢の言葉は人間的なものに帰属する意志のようなものを感じます。人間の精神が開かれるのも、それらを前にしたときです。反対に、私たちは目の前に開かれた膨大な情報の中に入っていくことで、相対的に自分たちの精神を閉じてしまいます。精神が閉じていくことは、心が腐食していくことです。情報が私たちの身体を奪ってゆくのです。しかし情報の刺激的な快楽が、そのことに気付きにくくさせています。
では私たちが情報の中でも開かれた精神でいるためにはどうしたら良いのでしょうか。ネットの中で多数であることを信じきってしまうことを、福沢なら危険なことだと感じたでしょう。なぜならこれが「信」のなかに「真理」があると思い込んでいることだからです。十五編に「蓋し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん」とありますが、ここにはネットの中で生きていくべき姿勢が見えます。たくさんの書物に触れていくにつれて、だんだんと言葉が選び抜かれて、自分の中に溶けていく感覚を持つことがあります。信じるべきか、疑うべきかを選択する基盤はここで作られているのだと思います。
例えばネットに書かれていたものごとに対して、このようにして慎重に判断をしても、それが後に間違いであったと気付かされることがあります。それは可逆性の中にある限り何度でも起こることです。しかしそのことを恐れずに、何度でも考えることを組み替えることは、ある意味では自分の内側の世界に広がっていくことでもあると考えます。
おわりに
「疑ひの世界に真理多し」は、自分が正しいと考えていることや社会の定説を、まっさらな目で見るということです。人の生き方、思想や文学にもこのような試みは必要だと思います。これは、「シーシュポスの神話」の過酷な試練と似ています。しかしこの試みも喜びに変わる瞬間があります。本当の真理は動きやすいものです。捉まえたと思った時に真理は、どこかに居場所を変えています。その変化への飽くなき眼差しが、私に「知ること」の喜びを伝えるのです。
《参考文献》
福沢諭吉著『学問のすゝめ』(岩波文庫)
福沢諭吉著 斉藤孝訳『学問のすゝめ』(ちくま新書)
モーリス・メルロ=ポンティ著 中山元訳『メルロポンティコレクション』(ちくま学芸文庫)
鷲田清一著『現代思想の冒険者たち Select メルロ=ポンティ―可逆性』(講談社)
丸山真男著『「文明論之概略」を読む上』(岩波新書)
「虚構が真実味を生む。近松門左衛門の創作論『虚実皮膜』[絵文録ことのは]2004/06/27」
http://www.kotono8.com/2004/06/27chikamatsu.html
慶應義塾大学 主催
第37回
「小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト」
小泉信三賞 佳作作品
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