中西美沙子
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今、がよく見えない

勝本朱香(高2)

出発

 この夏、私は「貧乏旅行」なるものを体験した。父が我が家の家族旅行につけた形容詞が「貧乏」だった。
車に私たちを詰め込むと、父」は笑いながら、「さあ、貧乏旅行に出かけるぞ」と大きく言い放って、その旅は始まった。
父の発想で、ホテルはサービスエリアに駐車した我が家のワゴン車「ガイア」だった。父に言わせるとサービスエリアは安全な場所で、水やトイレ、それからルームサービスを取るよりも手軽に、飲み物や食べ物を補給することが出来る最適で経済的な所だそうだ。

  私たち家族四人は「貧乏」にめげるより、多く楽しんだ。私は経験したことのない世界を見た。
朝、大きなトラックの影から太陽が光を投げ掛けた。垣根のむくげの花や欅の茂みが生き生きと目覚めるのを実感した。
姉と二人並んで、エリアの洗面所で歯を磨いているのが奇妙で、私たちはそのたびに笑った。すべての行動が新鮮だった。眠りに落ちるまで、私たちはとりとめのない話をした。

  私には民宿やホテルに泊まった今までの旅行より、この夏の「貧乏旅行」のほうが、より家族と親密になったように感じられた。
  そんな実感の中で、この夏休みをかけて読んでいた丸山真男「『文明論乃概略』を読む」のある一行が私の気持ちに触れた。
「物質文明と精神文明との両方を含まなくては文明とはいえない」という言葉だった。それは福澤諭吉が「文明論乃概略」の中で文明を定義した言葉だった。

古典への誘い

  『「文明論乃概略」を読む』のテキストは高校生の私の力では、読み解くのに「困難」な書物だった。私がいかにものを知らないか知らされた。
私はページを繰るたびに放り出したい気持ちになった。しかし持ち前のめげない性格が災いして、何とか読み終える事ができた。文芸部の顧問に読み方を教わったのも、助けになった。
「まず分からない所があっても、最初はそれに拘らずに読んでみなさい。」と彼女は言った。そして「辞書で引けるところは必ず引きなさい。あなたが理解出来て、重要だと感じた言葉や行に線を引いておきなさい。そして出来るだけ繰り返し読むこと」とつけ加えた。

  私はそのようなアドバイスに沿って読み始めたのだった。最初はアンダーラインを引くところが少なかったが、気の向いたときに繰り返し読むと、段々線が増えていった。すると福澤諭吉や、丸山真男の世界がわずかながら覗けたような気分になった。

  私は「概略を読む」の序章と第六講により多く線を引いていた。丸山は序章で、読む心構えと主要な考えかたを、すべて語っているようだ。
それは『習熟』という言葉に集約されていると私は思った。『習熟』と「ハウツー的学び方」を対比して丸山は「概略を読む」を始めている。
『習熟』という古めかしい言葉をあえて取り上げたところに、丸山の意志を感じた。

  私は、現代の「学ぶ」という姿勢のどこかに問題があるのではないかと、思った。丸山は「知性が進歩するというのは、知性が蓄積されることです」と言ったが、「知性の蓄積」よりも「素早い変化」を現代は求めているように思える。
そのような目で「学ぶ」事を考えると、私が使っている教科書すら、好奇心や感心を導くことよりも、必要な知識を網羅をするためにあるような気がする。
大学入試も一部、ハウツー形式の設問で作られている。丸山はそのような知識の在り方を、私たち世代の「古典離れ」の原因に見ている。
知識の表面的理解だけでは、考える力もヒントすら生まれないのだと、私は自分の置かれている現実を初めて知って、背筋が寒くなった。
いろいろな疑問を、ゆっくりと遠回りしても、自分の判断と考えで解決していかなくては「学ぶ」力にならないのだ。

  「概略を読む」は『習熟』の大切さから始まり、丁寧に学ぶ姿勢を述べている。
  『習熟』の中には「先入見の排除」と「早呑み込みの排除」の考えが大きなウエイトを占めている。そして、物事が見えなくなったら、古典を読む。それも、その時代に不評だった古典を選んで考えを深めていった丸山の考え方だ。
その考えは、青春時代に繰り返し読んだ「文明論の概略」から学んだことの一部だったのだろうか。

  丸山は、彼の司である南原繁先生が、孔子のことを話すときに、まるで、町内の老人のことを話す様に「あの人はね」と言った例をあげながら、古典とのつき合い方を教えている。おじけづかずに、友達のように、古典につき合ってみようというのだ。

  古典を読むことで、「まさに現代の全体像を『距離を置いて』観察する目を養うことができます」と丸山は書いているが、私は「概略を読む」を参考に、私のにとっての現代を考え始めた。始めると「現代」について考えた事のない自分に唖然とした。
日常の中で、喜んだり疑問を持ったり、悲しみを味わったりすることはあったが、ただ漠然と「今」を生きていた自分しか」見えてこないのだった。

今が、よく見えない

  いざ、「現代」って何?と思っても、すぐにこれだと思うものがない。福澤諭吉の「現代」は、明治維新という大きな時代の変化の時だった。その中で、懸命に日本の在り方を模索し、その時代を掴み取ろうとしていた。
そして丸山真男にとっての「現代」は、福澤が言った「どんな純良な説でも、単一な説の支配は必ずその社会を堕落させる」という言葉に代表される、軍国主義とその崩壊の時代だった。二人には、「開国」と「復興」で表現できる現代があった。しかし私には「  」に入れる言葉がない。

  現代では、快適な生活は、働きさえすれば保証されている。福祉も難題があっても、まず安心だ。景気が悪いと言っても、スーパーには、食べ物の新鮮なものが山ほどある。そんな時代に生きている私にとって、「現代」とは、何なのだろうか。
  誰が言ったのか忘れてしまったが、「その時代を写す鏡は、子供たちだ」という言葉が思い出された。私は、「開国」や「復興」のはとても及ばないが、「子供」を現代を考えるヒントにしようと思った。
それは、先程の言葉と、丸山真男が福澤諭吉の言葉に重ねた言葉の中に、これだ、と思わせる言葉を見つけたからだった。

  それは、「テクノロジーの進歩によって『文明の精神』が衰弱する可能性を、福澤が戦慄に似た憂慮を込めて指摘しているのを見れば近代技術文明の躍進とを、めでたしめでたしと手放しで謳歌するのはーー」と言った所だった。

  この頃、私と同世代の少年の想像もつかぬ酷い事件が、続いている。事件が報道されるたび、私は憂鬱な気持ちになった。それは犯罪の内容から受けるショックだけではなく、もしかしたら、その犯罪を犯した少年と自分は似ているのではないかという恐れだった。
我が家は家族みんな仲良く、お互いを尊重するし、自然に支え合う。そこには両親の考えが、きっとあったからだとと思う。そんな家族の中にいてすらも、私は犯罪を犯した少年たちを自分のことのように実感してしまうのだった。それが私の憂鬱の原因だった。

  福澤が参考にしているギゾーの説に、人の幸福とは、「生活手段の生産とその分配である」とあるが、はたしてそれだけが人の幸せを支えているのだろうか。それが真理なら、少年の犯罪が起きないのが自然ではないのか。物で満たされていても、犯罪は起きている。
何か、幸せと感じられないものが、私たちを覆っているのだろうか。過去にも、貧しさとか恨みなどで、犯罪を犯してしまう少年たちはいただろうが、現代の犯罪は、そのような視野では判断できなくなっているように思える。
テレビで少年犯罪を解説していた評論家が、犯罪少年の特殊は性質が原因と決め付けていたが、私にはその考えを素直に受け入れられない思いが、いつまでも残った。特殊な性質ではない犯罪に至る原因が、見えない形で、ごく普通に、その辺にあるように感じる。

  私が抱いた憂鬱は、私たち世代に等しく分配されているのではないか。
  福澤や丸山が危惧した、テクノロジーの進化にしたがって精神が乱れるという見解はどこからやって来たのだろうか。
私は「少年犯罪」は、テクノロジーの発達に代表される、「物質文明」と関係があるのではないかという思いを抱いた。

進化の先

  丸山は「概略」を読み解きながら、「あくまで心と物は相対的なものだ」というような事を述べている。人間は人間の幸せのために技術を発展させてきた。
しかしその進歩に対して人の心の在り方はどんな風に考えられて来たのだろうか。私は直感のように、心の問題はほとんどなおざりにされて来たのではないかと思った。
それは経済的にも物質的にも満たされているのに、私と同世代の子供たちが、次々に凶悪な犯罪を起こしてしまうことでも分かる。「物の分配」が必要以上に行き渡っているのに、何が、少年たちを犯罪に向かわせたのだろうか。
やはり、「物の分配」と「心」の関係のどこかに歪みがあるのではないか。

  電話が鳴った。集中していた意識がはかなく消えていく。姉からの電話だった。東京の大学で法律を学んでいる姉に、「現代って、何か。どうして十代の異常な犯罪が、起こるのか」とお教えを仰いでいたのだった。
  姉は、私の深刻な思考とは反対に、呑気な口調で言った。「朱香、ボランティアで老人ホームに行って来た日に言ってたじゃない。お母さんの言ってたことって本当ね、って。それと家族の問題だと思うよ」
  私は姉の言葉に戸惑った。すると姉は、「見て、聞いて、触れて、って言ったの覚えてないの」と言った。そして邪険にも電話を早々に、切った。私は思い出していた。
老人たちの恋愛談や戦争の悲惨な話を聞いたり、彼らを車椅子に乗せてあげたりした時に感じたものを、私は家族に「人と人のコミュニケーションは、見て、聞いて、触れて、が基本なんだね」と話していたのだ。
母が小さい頃からいつも私たちに言っていた事だった。

  私は、しばらくその言葉を反芻してから、再び意識を集中していった。私が、「見て、聞いて、触れて」と言ったのは、介護のボランティアで感じた感覚を、表現したものだった。介護に行く前、私は老人たちの寂しさや体の不自由さに対して、どうしたらよいのかと少し身構えていた。
緊張したまま私はその場に臨んだのだった。

  コミュニケーション。諭吉が『人間交際』と言ったものは、私が思っていたよりもお年寄りのそばで、実際に話したり聞いたりすると、ことのほかスムーズに結べたのだ。お互いの顔を見たり、話に共感したり、知らない世界を教えられることで、私の固まった意識が柔らかくなっていった。
私は、「見る、聞く、触れる」の関係が作り出す、人と人とのつながりの大切を、そういう形で実感したのだった。

  私たちは、さまざまな事や知識を、体験を通さなくても知ることができる世界にいる。顔を見なくても、触れ合わなくても、コミュニケーションが可能な、進んだ社会に生きている。科学の進歩は人の時間の無駄を省き、距離の感覚を無くすように動いて来た。
世界がインターネットで結ばれ、無限の情報が流れている。
  しかし人には、そのテクノロジーの進歩にどうしてもついていけない、人間としての限界があるのではと、私は疑問をもった。
文芸部の顧問が、興味深い話をしてくれたことがあった。それは人の細胞を研究しているある人の本の概略だった。

  「社会はすごく進歩したけれど、人間の体を構成する細胞は、昔から何の変化もしていないという事。原始人も現代人もまったく同じで、人間は、機能の限界の中で生きているのだそうだ。人は壊れやすい細胞で出来ていて、遠くを見たって、たいした距離しか確認できず、走るのも、泳ぐのも、動物に比べても、すごく劣っているのだ。
でもその限界があるからこそ、人は進歩を目指し、文化や文明が生み出されたのだ。テクノロジーで生産された商品の中に埋もれている現代人は、その人間の限界を忘れてしまったのではないか。そして、その中で生きていても、人は依然として、古いかたちをした生き物で、テクノロジーとのギャップによって、感覚や感情が悲鳴をあげているのが、今の人間ではないか」
  そんな内容の話だった。私は、その壊れやすい人間とテクノロジーとの関係から、「人の精神の衰弱」が生まれるという話が興味深かった。そして私は科学の進歩が、人を幸福にする一方で「見たり、聞いたり、触れたり」する場がつくり出す、人と人とのコミュニケーションの大切さを、どんどん奪っているような気がしてならなかった。
顧問が話の終わりに、「たまには、人間本来の姿を思い出して、急がないで、ゆっくり進んでいかなくてはね」と言った。そのなのだ。人間は地面に自分の足で立ち、遠くを見て、自分の耳や鼻で感覚を知るのだ。そこが原点、基盤なのだ。ゆっくり考えればいいのだ。

  あらゆることがスピーディに動いている社会の中で自分を振り返り、古い人間のかたちに戻ってみると、疲れた気持ちや焦りが溶けてゆくのではないかと感じた。
  「貧乏旅行」で見た星や、風のうねりが、私を静かな気持ちにさせたのと、何か似ている感覚があった。犯罪に隠された原因の一部も、もしかしたらゆったりとした時が失われた所にも、あるのではないだろうか。

失われた場所

  「子供は親の背を見て育つ」という言葉がある。社会が子供の在り方を写す鏡だとしたら、家族はもっと強く、子供に直接影響を与える場所なのだと思う。姉の言葉をきっかけに、私は現代の「少年犯罪」に家族がどんな風に影響しているのか考えてみた。

  私には小さな頃からの持病の喘息がある。発作が起こると、家族の誰かが、何も言わなくても、優しく背中を撫ぜてくれる。安心感の内に苦しさがまぎれる。学校から帰るといつも誰かがいた。そしてできる限り、朝と夕食は家族四人でするようになっていた。
一人でも欠けると、何だか不安な気分がするのだった。父も母も、私が小さな頃には、「遊べ、遊べ」といつも言った。近頃は「遊ぶ時は、どんどん遊べ。学ぶ時は、集中して」と言う。眠るまでの時を、私たち家族は居間で多く過ごした。話題は尽きなかった。
毎日の小さな出来事や、世界のニュース、両親の昔話や富山に住んでいるおばあちゃんのことなど。父や母の考え方が、正しいか間違っているかは分からない。結果は私の人生にかかっているのだから。「親の背を見て」が教えるものはその家の伝統、両親が生まれた家から引き継いできたものを、新しく自分たちの子供に伝えるということだろうか。

  私たちの世代は、よく礼儀や挨拶ができない欠陥人間のように言われる。それが現実だとしたら、最初に躾を教える家族そのものに原因があるのではないか。私の友達にも「親がいないほうが楽だ」とか「帰っても誰もいない」と言う子が、結構いる。
家族の「不在」なのを、疑問に思っていない友達が、不思議に見えた。よく「父親の不在」が子供に及ぼす影響が言われるが、「不在」そのものより「不在」に疑問をもっていない事の方が怖い。「不在」に慣れてしまったら、それは家族ではなく、ただの「同居人」に過ぎない。伝えることや、教える背中がなければ、子供たちが無秩序で無礼であっても当然で、子供に責任はないように思える。

  丸山真男は「古典をどう学ぶか」の章で、「今」を考えるために、過去の価値観を知る事がどんなに大切か言っている。丸山に言わせれば、古典の「典」は「模範」のことで、価値観のことなのだそうだ。今、自分が立っている時代が混乱したり、良く見えない時に過ぎ去った時代の価値観を学ぶことで、見えてくるものがあるのだと言っている。
私の家族を含めたすべての家族は、どこに自分たちの価値観を置いているのだろうか。そして、過去から何を、学んだのだろうか。

  「物が大切」という人があり「心が大切」と考えている家族があるだろう。私はその二つの要素は、両方必要なことだと考える。しかし「心」の土台に「物」が乗っていなくては、何の意味もないように思える。
  「家族の不在」が、物の追及で起こっているとしたら、「心」の失われた社会はどんどん混乱するだろう。そして相変わらず「少年犯罪」は止まないのだと思う。

  私は想像する。学校から戻ると、部屋は静まりかえって、誰の声も聞こえない。一人で食事をして、部屋に戻って、パソコンで見えない人とメールの交換をしたり、携帯電話で何時までも話し続ける。飽きるとビデオをセットし、その世界に没頭する。
  この例は極端かもしれないが、そこには触れ合うものの暖かさがない。触れ合いの大切は親から学ぶのが基本だ。今はその場がだんだん減ってきていると、私は思う。そんな場を誰もが大切だと言うだろうけれど、現実の生活はそれを裏切っているようだ。
  商品の氾濫した部屋の隙間で、満たされないでいる「心」がある。その「心」はまだ、「心」の何であるかを学んでいない。私たちは経済中心の世界に、裸のまま放り出されているようだ。その反動が、犯罪や非行に私たちを駆り立てるのではないのか。

希望

  しかしどのよにしたら、社会に映された「少年犯罪」は解決できるのか、困難な問題だ。私は無力だ。しかし、『「文明論之概略」を読む』は、私に読むことの困難さと考えることの可能性を教えてくれた。

  「文明とは文明化の問題になります。シヴィリィゼイションとはシヴィライズしてゆく、もしくは、されていく過程ですね」と丸山は「西洋文明の進歩とは何か」で言っている。
  私はその言葉に救われる思いがした。人もまた、いつでも変わることができると、その言葉が言っているようにも思えた。

  テクノロジーの発達や物の豊かな生活は、素晴らしい。しかしその素晴らしい世界に害される「心」があるとしたら、その「心」を助ける場所や社会がなくて、文明の進歩はないのだと思う。
  「物質文明と精神文明との両方を含まなければ、文明とはいえない」。この言葉は、誰もが言う事かもしれないが、私は現代でも解決されていない問題だと思う。「物質文明」が「精神文明」を押さえつけるとしたら、科学の進歩は人の幸せのためにあるという基本に戻らなくてはならないと思う。

  「物質文明」に負けない人間であることは案外、「家族」という小さな単位の「社会」を考え直す事にあるのではないだろうか。
  そして、ハウツーとしての対処ではなく、ゆっくりとした学び方の『習熟』が、現代を生き抜く想像力を生むのではないか。

慶応義塾大学 主催
第25回小泉信三賞受賞作品

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